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認知行動療法とぐちゃぐちゃのノート

こんばんは。山口葵です。

そろそろ「今日はブログの更新まだかな?」と思い始める人がいる頃でしょうか。高校生の頃は完全に更新する時間帯が同じで、毎日欠かさず書いてたのでみんなソワソワしてくれました。

あれを見るのがなんか好きだった。まだかな?!って更新ボタン連打したとか聴いたことある。

それに比べて最近のブログは更新時間もランダムだし、まだ「まだかなー?」と思うには早いか。もうちょい精進します。はい。

葵の日記中毒になってもらえますよう。

昔から長文の日記は夜に書くのが習慣化しておりました。短文をぱらぱら書いて最後に長く日記でまとめて〆。

そうすることで1日の思考を全部出して次の日に行く前にリセットできるから。その日の終わりには全部書き切る!のですねー。

なのでなるべく日付が変わらないうちに書く、という謎のこだわりがありました。今ぐずぐずだけど。生活リズム狂ってるから…

昨日、泣きながら日記を書いて寝たからか、朝起きたらすっきりとしていました。あまり人前に出すべき「ではない」と思い込んでいるような感情を言葉にするととてもすっきりします。

恥ずかしければ自分だけ見てるノートとかでもいいけど、私は人に見られる方が気持ちを吐露した感覚が強くなるのでそうしてます。

「うらやましい」とか「むなしい」「みじめ」「いやだ」など、言葉にすると自分がとても悲しい存在かもしれないと思うような言葉、それらを出したいときに出す。

大人になればなるほどこういう気持ちを外に出すのがみんなへたくそになるから。大声で泣くこともみんないつしかしなくなっている。

そんな心の叫びに寄り添ってあげるようにすると、とても心が落ち着いたりするのでその時は指のまにまに、書き殴ってみるようにしてます。

認知行動療法に似てるかもしれません。若い頃に心を病んだときに心療内科の先生に提案されて、実践し私はかなりよくなりました。本当にとても素晴らしい治療。

簡単に言うとノートに嫌なことを書いて、先生とゆっくり感情を紐解いていく作業をする。

ぐちゃぐちゃに絡み合っていた感情の紐が少しずつほどけていって、理解しやすいものになる。「わからないこと」が「わかる」に変わるだけで心は穏やかになる。そんな治療法でした。

ノートを渡されて、何を書けば良いかわからず。初日は紙いっぱいにぐちゃぐちゃと描き先生に渡しました。

先生はそれを見て「いいね、こんなページもあっていい。どんどん思うまま描こう。」と言いました。

そこから少しずつ嫌なことや悲しいことを書いて、先生とほどいていく作業をして。

目を合わせられなくてずっと先生の足元だけを見ていて、ついにはじめて目を見ました。先生ってこんな顔だったんだ、と驚いた記憶があります。それが私の最後の診察でした。

今でもとても感謝しています。忘れられないし、「認知行動療法」が私に合っていると判断してくれたことやゆっくりと向き合ってもらえたことは財産。

メンヘラと一括りにしないで、こうやって自分のペースで治療を頑張っている人がいるのだと、もう少し世界が理解してくれたらいいのになぁ。と思います。

認知行動療法で心の病気をやっつけたのは私の成功体験です。

今少し心が弱っているけど、書くことで回復しようとすることはあの時の記憶があるからかもしれません。

心について、もう少し学びたいなぁと最近は思います。

なんだかとても真面目な日記になってしまいました。まいっか。

色んなことあるけど、今日も生きてます。よかったー。

それでは。


山口葵

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