ぬか床にコミットした夫がオールAを取った話

ぬか床から人間が産まれることがある。
そんなわけはないけれど、梨木香歩著「沼地のある森を抜けて」はもしかしてそういうこともあるかもしれない、という不思議なリアリティとともに、宇宙のミクロとマクロが縦横無尽に繋がっていく壮大にして希有な小説だ。
 
昔のぬか床は、大きな瓶で常温保存されていたから、毎日かきまぜるというお手入れが必須で、それは主婦の仕事だった。
だからこそ「先祖代々」「脈々と受け継がれた」「毎日の義務」などというめちゃくちゃ重々しい、聞くだけで逃げたくなる言葉を背負っていたし、家父長制度下の女性たちの苦労やうらみつらみ、重圧を連想させる存在でもあったのだ。
そういった仕事が女性だけに押しつけられていたということの是非はともかく、昔の人間がとても自分を律することができる人々だったことは確かだ。

だがしかし、昨今のぬか床はずいぶんとポップになった。
 
色んなメーカーや料亭がすでにできあがったぬか床を売ってくれているし、タッパーくらいの小規模で、保存も冷蔵庫でするから、1~2週間混ぜなくても平気。
なんならもっとちいさく、ジップロックSサイズに半端に残った野菜の切れ端を放り込むところから始められる。
おかげで、「ぬか床を持つなんて50年早い、ぬか床なんて驚異的に自分を律することができる、人間的に成熟した人だけが持てるものだ」と思っていた私のようなズボラな人間でも持つことができるようになった。

そんなわけで我が家にも、(たぶん)何億も菌がひしめく小宇宙・ぬか床のほうろう容器が冷蔵庫にじっとしている。
ほぼ5年の付き合いだ。だけどこんなにハードルが下がったのに、「死なせたかも」と思ったことは一度や二度ではない。
表面が真っ白なカビに覆われたり、出産育児に追われて二ヶ月ほど存在を忘れていたり、機嫌をそこねたような妙な匂いをさせるようになったり…。

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すべて未発表、noteのみのエッセイです。

シェアハウスでゆるく共同生活をしながら、人生のあれこれについて小声でお話しするようなマガジンです。 個人的なこと、「これはシェアしたほうが…

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