読書シリーズ、第二弾。
親野智可等著「叱らないしつけ」について書いてみようと思ったけれど、思いの外長くなったので、その前日譚というか、今回はこの本を読もうと思ったきっかけについて主に書いてみる。
ここ最近、感情的に子どもを叱ってしまうことが増えて悩んでいた所、たまたま読んだ雑誌に著者の話が載っていた。
叱らないとか、褒めるというのはよく目にする事だけれど、私が気になったのは、できない時に「代わりにやってあげても良い」という部分だ。最近子どもが帰宅時の荷物の片付けができず、よく叱ってしまっていた。代わりにやってあげた方がお互いに楽だけれど、それだと本人のためにならないかな、、と思い手伝わずにいたけれど、代わりにやってあげてもいいの?と思い、記事を読んだ。
ということで、叱らないための合理的なシステムの具体例や、褒める時のポイントが説明される。
後半の、人は夢を見つけた時に改善しようとするから、それまでに無理に矯正することはないという話は、児童精神科医の本田秀夫先生が発信している事と同じ内容だったので、改めてそうだよなと思いつつ読んだけれど、前半の「そういうときはあきらめてください。あきらめるというのは見放すということではありません。親がやってあげるということです。」というのが、今の自分にとても響いた。
私は基本的には比較的甘いタイプの親だと思うのだけれど、義実家に行くと、お義母さんは優しいけれど、しつけはちゃんとしなきゃというタイプなので、私たち夫婦が優しすぎることを心配していて、子どもに我慢させるのも大事よ、あんまり甘やかしすぎてもね、と結構言われたりする(しかし、そのポイントが私とは結構違い、お義母さんはおやつや洋服やプレゼントを娘にふんだんにくれるけれど、私は質素な家に育ってきたこともあり、そこはそんなに甘やかさないでいいのになと感じたり、一方で、娘が習い事をすぐにやめてしまった時など、私は仕方ないなとそんなに気にしていなけれど、お義母さんは、もう少し我慢も覚えさせないとね、と気にしたりしている)。そんなやり取りにプレッシャーを感じ、自分が甘すぎるのだろうか?と悩んでいたこともあり、やってあげてちゃダメかな、言うべきことはちゃんと言わなきゃ、と必要以上に思ってしまい、最近叱ってしまうことが増えていたなと思った。このあたりの私の悩みに対しては、「叱らないしつけ」の本の以下の箇所にとても励まされた。
本では、叱ることの弊害について、より詳細に説明されている。著者の長年の小学校教師経験をもとに、具体的なエピソードがたくさん載っているので、とても参考になったし、納得感があった。特に、著者自身も昔は良かれと思ってたくさん叱っていたけれど、それが全く無意味だったと気付かされる苦い経験が綴られているのがとても良いなと思った。
本については、次回続きを書こうと思う。