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病気の治りかけの記憶

こんばんは!昼間はサラリーマン、朝と夜はイラストレーターのaoitatanです。

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今回作ったZINE、実は何年も前からあたためていた「ぐうたらすることの尊さ」を問う一冊にしました。自分への反省も込めて。時に、立ち止まることとか。勇気をもってお休みすること。何もしないこと。ぐうたらすること!そういう時間が、ずっと生きていくためにはちょいちょい必要なんですよね~という思いで。

そういうことを感じたきっかけになる出来事がありまして。私、小学校入学から大学卒業するまでただの一度も風邪で欠席したことない一生皆勤賞の超!超絶な!健康優良児だったんですが、実は25歳くらいの時にある非突然病気になったんですね。本日はここの結構パーソナルな話を振り返っていくので、ぜひお付き合いくださいまし。

💛

で、早速ですが、この記事タイトルの「病気の治りかけの記憶」。その病気の最初の治療が終わる直前に、健康っぽくなったあとの自分へのメッセージとして思ったことを全部書きなぐっていた文章がありまして。これがなかなかエモいんです。自分の治療時期を振り返るにはこれを読み直すのが一番なので、思い切って紹介させていただきます。


病気治りかけの記憶 2016年5月2日

忘れてしまうだろう。

くしゃみがいたくて
ごはんがいたくて
寝返りがうてなくて

なにもする気がおきなくて
家で、ただ息をするだけで
一日がおわってしまったことを。

仕事をお休みしたら
毎日の宿題がなくなったこと
毎日、なにしよう。と
えらべる自由を、

ドアを開けたら空が青いだけで
心がそっと満たされて
安心を感じたことを、

忘れてしまうだろう。

くつしたのかかとが
ぴったり合うだけの
やさしいしあわせを、

宿題がひとつもなくて
あたたかいお風呂で
好きなだけ考えるやすらぎを、

だけどもう
考えることもなくなって
気分という舵だけで
毎日を進んでいける感覚を、

ぜんぶ、忘れてしまうだろう。

夢を追わなければいけなくて
何かに勝たなければいけなくて

休むことを 望むことすらせずに
生きてきたことが
いやだったという、本音を

もう、忘れてしまうだろう。

自分が無敵じゃないという自覚があれば

自分が生きているのではなく
死ななかっただけなのだと自覚があれば

日差しが毎日美しくて
コンクリートの道のざらざらのきらきらさえ
大切に思えることを

何もしない一日が終わり
何もしない一日が始まり

この夏の この秋の そしてこの冬の 
無力になった自分が見つけた
穏やかな心とか


ずっとずっと
病気が嘘みたいに消えて
薬の袋を全部無くしても

見つけた気持ちを
何度でも思い出す

私は進む。
だけど、思い出す。
そして、連れていく。

耐えられない弱さがある
そういう自分に

気付いてしまったのなら
もうそれなしでは 生きてはいけない


う~んエモい!(語彙)これ、本当はこれの2倍くらいの長さがあって、本当に治療が終わる直前にばーーーーっと殴り書きしたんです。ああ、今この瞬間の病気の治りかけの気持ち、いつか全部忘れちゃうんだろうな、だとしたら、書いとかなきゃ・・・と思い立って。実際、健康っぽくなるにつれて、当時の通りの心ではいられないので、全部忘れちゃって。笑 でも、その書きなぐった文章を読むと、当時の思いがぐわーっとフレッシュによみがえるんですね。1年に一回くらい読み直してる気がするな~。過去の自分、サンキュー!(語彙)

💛

病気といって、実際何が起きたかというと。今思うと、入社してから馬車馬のように働いてたんで本当にシンプルに過労だったんですが。しかも働かされてたのではなくて、自ら追い込んでた感じで。仕事楽しいし、自分はできると自分に期待しているし、成長したかったので、週5徹夜とかしてたときもあったくらい。今思うと時間の使い方、優先順位のつけかたがへたくそだったな~と思うんですが頑張るしか強みがなかったのでそんな感じで働き続けていたら、ある日。

本当に突然!物を飲み込むと首が猛烈に痛いことに気づきました。変だな~と思いながら飲み込む時以外は普通なので、いったんバファリンルナ飲んでごまかしていたら、4日目の夜に39℃くらい高熱が出て、首が激痛!!翌朝近所の内科で見てもらったら即「甲状腺」がバグってるとのことで(語彙)、この足で甲状腺の専門病院に行ってくださいと紹介状渡され、そのまま行くことに。そしたら「亜急性甲状腺炎」ってやつだったんです。

まったく知らなかったんですが、首にホルモンを出してる臓器(甲状腺)があって、亜急性(=慢性じゃなくて一時的になってるの意)甲状腺炎(=甲状腺バグってるの意)は、甲状腺がバグってホルモンが出過ぎてる状態であると。で、その甲状腺が出してるホルモンっていうのが体の代謝のホルモンなんで、出過ぎると体の中で代謝がおこりまくって、動機息切れがして心臓ぱくぱくしたりとか、カーっと熱くなったりとか、ずっとジョギングしてるみたいな感じで、めっちゃ疲れて、めっちゃ痩せる。確か1週間で5キロくらい落ちてしまった。打ち合わせして話してるだけで心臓ぱくぱくしてきたりとかして。

そういう状態で、診断が下りた日からステロイド治療に入りました。仕事は休職はしないで残業をゼロに調整。医者には3か月で治るって言われたものの、結局治らなくて半年以上通院してステロイド飲んでました。たぶん、最初に1か月くらいちゃんと休めばもっと早く治ったかもだけど。家賃とかあるしお金も必要なんで働いたらずるずるといってしまい。

で、治療終わった~と思ったら最後の検査で衝撃の診断。「橋本病ですね」って!これ、甲状腺の別の病気。まさに青天の霹靂!でした。最初になった亜急性甲状腺炎ってやつはホルモンどばどばになるやつで、橋本病は逆にホルモンでないやつ。どゆことやねんと思ったんですが。要は、私は無症状だったけどもともと橋本病で、でも自覚症状がないから検査もしないしずっと気づいていなかった。それがシンプルな過労で甲状腺がバグって、亜急性甲状腺炎(一時的に甲状腺がバグってホルモンあふれる)になっちゃった。それが治って検査したら、実はそもそも橋本病だったわと発覚した。という流れ。マジか!?

亜急性甲状腺炎になった時にお医者さんに「甲状腺の病気で治るのは亜急性甲状腺炎だけだからラッキーだよ」的なことを言われてびっくりしたんですけど、え、じゃあ橋本病は治らないんですかっていう。色々聞いたら、体質なので、半年に一回検査を続けて、ホルモンが足りなければ補充して・・というのを一生続けるということらしく。一生というと重く聞こえるんですが、まあそういうことで。で、今5年くらいたったのかな?そんな感じで暮らしてます。コロナだから混んでる病院に行きにくくて検査行くの大変。来月お薬もらいにいかなければ・・

風邪もほとんどひいたことがない超絶健康優良児だったのに急にそんな感じになってしまい、最初はアイデンティティ迷子になりそうだったんですが、まあ活用していこうと思ってうまくつきあっています。自分は完璧に健康でずっと健康だっていうおごりがあったなって本当に反省もしました。病院に行くといつも混んでいて、世の中にはこんなに甲状腺を患ってる人がたくさん毎日いるのに、自分はそれに気づかないで生きてきたんだなあ、すれ違う人が当たり前にみんな健康で、自分も健康だって勘違いしてたんだなあって思いましたね。

💛

そんな日々から5年たって、今も検査してホルモン補充したりしてるんですが、今は自分のその体質というか状況を「できないことをできないっていう権利」だと思ってます。もちろん健康な人でも無理は無理って言える世の中であるべきなんですが。

ひとりひとりにキャパシティがあって、ひとりひとり体力のゲージがあるから、ひとりひとりにそれぞれの「ここまではできない」のラインがあるんですよね。それを、だいぶ早めに宣言する権利があるって思って橋本病と付き合ってます。橋本病、今も毎朝ホルモン補充の錠剤飲んでますが、別にそれ以外は普通なんですよね。具合悪いとか一切ない。ふつう。だから見た目では誰もわからない。だから自分で忙しくて無理っぽい時は周りに早めにヘルプ要請宣言するっていう感じで、病気をちょっと活用してますw おかげさまで今も楽しく働いております。

さてZINE「ぐうたらの刑」に話が戻りますが、そういう原体験があって、それからもいろいろ考えてきた「何もしないの尊さ」をつめこんだのがこの一冊です。特に疲れている人に読んでもらいたい。通販ありますのでね、本当にチェックしてみてください。笑


読んでいただきありがとうございました!

いただいたサポートは、ZINEの印刷代または必要に応じて家族にコーヒーをごちそうするために活用させていただきます。