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書評『チェチェン やめられない戦争 =ロシアのウクライナ侵略に反対するために= (2022/04/27)

 ロシアのウクライナ侵略について考えるためには、少なくとも1994年から1996年と、1999年から2009年の二度にわたるチェチェン戦争までさかのぼって考える必要があると思います。ソ連邦解体に伴う混乱の中で独立を宣言したカフカ―スの民、チェチェン人100万人のうち20万人が殺されたと言われるチェチェン戦争について、世界は(そして私たちは)ほとんど不問に付してきたのではないでしょうか? 以下、命をかけてチェチェン戦争の実相を世界に訴えた、ロシア人ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの著作、『チェチェン やめられない戦争』から長く引用します。

--------- 引用 ----------------
(P.130 以下を構成)
【政府の公式発表】
 政府は、2001年12月から2002年1月にかけてチェチェンにおいて行われた「特殊作戦」が、疑う余地もなく成功したと宣言した。…「数か月にわたって、武装勢力を、山岳地帯といくつかの居住区からツォトァン・ユルト村に追い立てることができた。そして大晦日には、そこで100人を下らない武装勢力を包囲したが、要塞と化した家々との激しい銃撃戦となった。しかし、最終的には多くの武装勢力が拘束され殲滅された」
【老女と隣人の証言】
 …タンスの中身は引きずりだされて、中の物はすべて壊されていた。
「全部持っていったよ。奴らはやって来て、私のところに強盗連中が隠れていると言うのさ。そして略奪がはじまった。
 ……
 食器? 割られてしまった。粉々にして床に捨てられた。
 枕やマットレス? 引き裂かれた。
 小麦の入った袋? それもナイフで滅多切り。…パンを焼くことができないように。
「家の納屋には干し草が200束あった」と老女の隣人が言う。「軍人たちは村のはずれから連れてきた若者を家の納屋にひきずってきて、干し草の束の間に入れてそのまま燃やしてしまったよ」
【老人の証言】
「奴らは入ってきて言ったよ。…ジャガイモも全部取り上げられた。冬の蓄え全部だ。小麦粉の袋には用がないとばかりに引きちぎって、粉をぶちまけた。…三本あったズボンは全部とり上げられたし、靴下も残っていないよ。5,000から6,000ルーブルの金を差し出した隣人は何もされなかった。人間が連れ去られないためには、ひとりにつき500ルーブルだった。武装勢力メンバーには手も出しゃしない。それから、バスが来て、子どももみんなその中に押し込まれた。子どもたちには手榴弾を持たせて、親たちを脅したんだ。『金を持ってこないと、子どもたちを爆破する』と。奴らは…1歳になる赤ん坊を抱いた若い娘を外に立たせておいた。その間に、娘の母親が近所をかけずり回って、言われただけの額をかき集めてくる。…三日三晩私らは痛めつけられた。やって来ては引き揚げていく。そんな風にして治安を維持しているとでも言うのかね?」

(P.122)
「開けあがれ、売女! 掃討作戦だ」
 ……
 マリーカのアパートには親類の3人の女性が寝ていた。ひとりは15歳だった。連中はその子を示しながらほかの者たちをどなりつけた。「言う事を聞かないと、こいつを死ぬまで強姦するぞ」。かれらはマリーカの髪をつかんで階段を引きずっていき、上の階にあるほかの家のドアをノックさせ、扉を開けさせた。
 すべては略奪と流血で終わった。その夜、その棟にいた女たちはすべて、腎臓、頭、脛を容赦なく殴られた。「奴らは、誰かを強姦したの?」
 マリーカは黙って、ただうめいていた。…隣人たちも黙っていた。彼女たちの沈黙は固かった。
 強盗たちのキーロフ通りでの饗宴は朝の5時まで続いた。

(P.140)
「あいつらが俺たちを銃殺するために連れ出したとき、俺は嬉しかった」という16歳のマゴメド・イジゴフ…。
「あの時は寒かった…何時間も壁に向けて立たされていた。…あいつらは、俺のコートのボタンを外し、…ナイフで服を切り裂きだした。体に届くほどに」
「何のために?」
「もっと寒さをかんじるようにさ。ずっと殴られていた。…」
 ……
「…リストを見せて言うんだ。『このうちの誰が武装勢力だ? …どこで奴らは治療してくるんだ? 医者は誰だ? どこの家に泊っているんだ?』って。…知らないって言ったさ」
「そしたら?」
「『手伝ってやろうか?』って訊くんだ。それから電気の拷問がはじまった。これが『手伝う』ってことなんだ。……黙っていた」
「痛かった?」
 ……
「とても」。マゴメドは頭をあげず、ほとんどささやくような小声で答えた。……
「それで、銃殺のために連れ出されたのが嬉しかったのね?」
 ……
 …マゴメドの父親、イーサが割り込んでくる。
「これまでの掃討作戦では長男が連れていかれ殴られてから釈放された。……今回の掃討作戦では二番目の息子が障害者にされた。一番下は11歳だ。この子もやがてやられるのか? ……これからどうやって生きていけばいいんだ? 教えてくれ」
 私はその答えをしらない。ただわかっているのは、これでは「生きている」ことにはならないということ。どうしてこんなことが起きてしまったのも知っている。わが国(注・ロシア)全体が、そしてアメリカやヨーロッパ諸国が21世紀のはじめに現代ヨーロッパのゲットー、――誤って「対テロ作戦ゾーン」とよんでいるところ――で子供が拷問されている現実を仲良く認め合っているからだ。

(P.20)
2002年、夏がそこまで来ている。第二次チェチェン戦争が始まって33カ月になる。この絶望的な戦争に終焉の兆しはどこにも見えない。
「掃討作戦」(注)は絶えず行われており、まるで異教徒を無差別に火刑にしているかのような様相を呈している。拷問は普通に行われ、裁判なしの処刑は日課のようになっている。騒乱に便乗した略奪は日常茶飯事。ロシア連邦軍兵士によって誘拐された人びとは、生きていれば奴隷取引、死んでしまえば遺体取引の対象にされているというのが、チェチェンのありふれた日常になっている。
 1937年当時(スターリン体制下、粛清の嵐が吹き始めた年)のように、「人間」がある夜忽然と消息を絶つ。
 切り刻まれ、誰のものとも判別のつかなくなった遺体が毎朝のように、村はずれで発見される。

(注)「掃討作戦」 チェチェン国内に駐留するロシア連邦軍の特殊作戦。パスポートを調べて無法者を取り締まるのが目的とされたが、連邦軍の行為は掃討作戦のこうした当初の目的や任務から遠く離れ、この言葉は実質的には、殺人、誘拐、略奪を意味するようになった。
--------- 引用終り ----------------

引用はほんの一部にすぎません。本書にはロシア軍の底なしの暴力、底なしの腐敗が延々と書かれています。読むに堪えないほどの記述からは、ウクライナを侵略したロシア軍が、街や村を破壊しつくし民間人を殺戮する蛮行は今にはじまったことではなく、ロシア軍の本性であることがよくわかります。本書の中のロシア軍は部門ごとに分裂しており、司令官は自分の栄達だけを追い求め、消耗品とされる末端の兵士は行く先々で、チェチェン人に対する、殺人、誘拐、略奪、暴行を繰り返して金目のものをふところに入れることに血道をあげている。本書は、こうしたロシア軍の腐敗が、ロシア社会全体の腐敗した構造から導かれていることを明らかにしており、また、戦争の継続によって巨大な利益を得る産軍複合体と、チェチェンの石油利権を私物化している者たちが戦争の背後にいることもわかります。
 プーチンはチェチェン戦争への国民の熱狂を煽って大統領に登り詰め、独裁的とも言える権力を掌握しました。ウクライナへのロシアの侵略は、少なくともチェチェン戦争以来のロシアの周辺地域への一貫した膨張政策、戦争政策の帰結として考えねばならないと思います。
 西側にいる私たちは、アメリカやヨーロッパ諸国が、チェチェン戦争におけるプーチン政権の蛮行を見て見ぬふりをしてきたという、著者の厳しい告発に向きあう必要があると思います。一貫してプーチンを持ち上げて16回も首脳会談を重ねた安倍晋三氏を首相にしていた日本人の責任は重大です。西側諸国がチェチェンでのロシアの蛮行を見て見ぬふりをしていたのは、自分たち自身がイラクやアフガニスタンで、ロシアと同じことをやっていたからにほかならないと思います。西側諸国は無罪ではありません。そして、われわれ西側にいる左翼もまた、チェチェン戦争における人びとの殺戮に関心を示してこなかったのではないでしょうか。そうしたことは、ロシアのウクライナ侵略と無関係ではないと思います。
 脅迫に対してひるむことなく、チェチェンに通い続け、チェチェン人の声を聞き続け、書き続けたアンナ・ポリトコフスカヤは、2006年10月7日、自宅アパートのエレベータ内で何者かに射殺されました。10月7日はプーチンの誕生日でした。暗殺は何者かによるプーチンへの誕生日の贈り物だったのでしょうか?

(『チェチェン やめられない戦争』NHK出版 =2004/8/25=は絶版です。)

2001年、ロシア軍が破壊したチェチェンの街は、2022年のウクライナの街の風景そのものです。


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