高橋源一郎「飛ぶ教室」で山本七平著「一下級将校の見た帝国陸軍」を紹介するのを途中まで聴いて

今現在も放送している。NHKラジオ第一でのこの番組。8月から「戦争の向こう側」と題して一連の流れとして聴いていたがもう、我慢できなくなった。
卑怯だ、高橋さんは。そう思った。戦争の向こう側で太宰治の「12月8日」や「惜別」を紹介したり、今夜取り上げた作品にしても、まともに聴くことが途中でできなくなった。
戦争は良くない、そんな当たり前のことをただ言う人じゃないのはわかっているし、前の戦争で軍部が国民の生命を簡単に殺してしまうような特攻させたりするひどい組織だった、なんてことだって十分わかってるよ。だけどね、戦争って、そんな簡単に一面だけでとらえるものじゃないでしょう?
例えば、私は「前の戦争」としか言えないわけ。教科書では太平洋戦争と習った世代だけど、シナ事変もあわせて「アジア太平洋戦争」が正しいと言う人もいれば、いやいや当時の大日本帝国政府の名称は「大東亜戦争」なんだから日本人としてそう名乗らないとおかしいでしょう?と言われると「そうかも」と思ったり、じゃあどう呼べばいいのかわからないから今の私は「前の戦争」と保留するようにしか言えない状況にさせられている。
前の戦争のことを思うと、胸が苦しくなる。きっと前世ではあの当時に戦場でだか空襲でだかで亡くなったに違いない。いくら戦争が良くない、やるべきじゃないよねって言ったって、いきなりロシア軍が攻めてくるかもしれないし、現にウクライナの人たちにとってはそうだったし、中国軍が沖縄の那覇空港が米軍と共同で使っている空港だからミサイル攻撃してきたっておかしくない。平和ボケした私たちは憲法9条があるから外交でなんとか平和は保てる、と真剣に思っている人たちが何割か確実にいる国になっている。そう、高橋さんはこういう「平和ボケ」している状況には何もいわない。おかしいでしょ?リアリティーないでしょ?旧統一教会みたいに憲法9条をうやうやしく信仰したって、相手からみたら関係なしに攻め込んでくるわけ。敵国条項とかそんなこと言う必要すらないくらいのスピードで。

物事にはいくつも見るべき角度や視点がある。前の戦争で確かに軍部はひどい組織だったと思う。内地でだって、表の通りで若いカップルが手をつなぐだけで警官に怒られたりする。ちなみに最近中国で、日本の浴衣を着ていただけで警察が逮捕したことがニュースになっていた。そういう自由や人々の意思を尊重すべき、とも思うけれど、たいていの人たちはそれでも国を大事に思ったり、愛する家族を守るために進んで命を散らせた人だっているわけ。戦争はそれだけじゃなくて、世界的な歴史の流れとか、巨視的な政治システムや経済システムや、ミクロの部分から個人個人の視点だってそれぞれ違うでしょう?そもそも今ロシアがウクライナを主権国家じゃないって言ってておかしいって思うけれど、当時だって日本は中華民国じゃなくて蒋介石国民党と戦っていた、という人だっているんだ。どこまでいっても戦争ってのはちゃんと語れないんだよ。それをある程度読んだりしたからという自負から一方的にある見解から紹介されたような、そういうのが高橋さん、卑怯だっていうんだよ。

普段はとても楽しくこのラジオ番組聴いてるんだけど、どうもリベラルが行き過ぎてる感じの回は聴くに堪えない気持ちになる。高橋さんだって、親戚から戦争の話を聴けなかった自分を恥じているのにね。その恥ずかしい自分を戻している感じがあったからかな、やっぱり卑怯だ。

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