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「竜胆〜」Vol.6【冒頭のボツ.Ver.2】

冬。

京都の大徳寺裏の路地に「粉屋」とのれんをさげた、町に馴染みすぎたのか観光客はとおりすぎ、常連客しかたずねてこない間口一間の小ぶりな店構えの珈琲店があった。

粉屋ののれんからも、男の部屋がみえるはずだ。

二度と戻らぬ部屋を、もう一度みまわした。三畳の、黄いろく色あせた畳以外、なにひとつなかった。男と女の精液で湿ったせんべい布団も家財道具もすべて処分した。昨晩、枕に使ったリュックが男の私物のすべてだ。着替えはすでに東京に送ってある。

今晩、京都発新宿着の夜行バスに乗る。それだけだ。男は、年が明けた明日、東京の作家、龍洞虚人に弟子入りする。まだ、女には伝えていない。

畳に、じかに寝たので、全身が痛んだ。男は立った。

二階の窓をあける。夜の霙は雪にかわっていた。

窓の外は白く眩しすぎた。男はふらつき壁にしがみつく。眼球をかばうように男は目を閉じる。目を閉じると耳が冴えかえって、目をつぶった真っ白な世界はしじまではりつめていた。まるで積もった雪が京都じゅうの音という音を土の下に抑えこんでいるようだ。窓の外の雪から突きあげる強烈な光は、男の閉じた目蓋のなかで無数の精子の影を炙りだしている。

男の目蓋にうつる無数の精子は、次第に、粉屋の、麻に滲んだのれんの藍色、右下に「円」と朱色で打たれた落款のような手書きのしるし、夏、陽炎があがるアスファルトに打ち水で腰をまげる浴衣姿の影、遠くから近くから呼びかける弾けた嬌声、すき透る白い膜のような肌、節くれたほそく折れそうな指、青くうく甲のうねった血管、左の靨によりそう黒子、肩までたれた墨汁が染みこんだみたいな黒髪、男の血液や精液を吸って赤くなった尖った唇、ふとももから陰部にかけての湿って腐った女の臭い、欲しがる男が口を開くと糸をひいて垂らす白く濁ったよだれ、真っ赤に膨れあがって喘ぐようにぷるぷると震える女陰になって男の脳裏に打ちよせてきた。

頭を振って男は腕時計をみる。三時を回っていた。


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