落語脚本(台本)「千里眼」(15枚)

十年「今日もお稽古ありがとうございました」

師匠「お待ちなさい」

十年「え、」

師匠「お待ちなさい」

十年「今日は他になにか?」

師匠「いいからここに座りなさい」

実はこの師匠というのはこの私の師匠でございます。つまりこの噺は、私が弟子入りした当初のお噺。

師匠

「十年、これはわが落語界でもよくある話であるからよく聴きなさい。盗作問題だ。これはおれのネタだ、いやおれが先に書いたんだ、などという悶着はいつの世もある。例えば文芸界の芥川龍之介。その「蜘蛛の糸」。あれは実はドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟という作品のなかの逸話の一節を盗んだそうだ。そう指摘された芥川、いや違うおれは鈴木大拙が訳したドイツの本を基にして書いたんだ、というが、どのみちそっちで書いたとしてもパクリはパクリ。さらに芥川、この鈴木大拙が訳した本を読む前にカラマーゾフの兄弟を読んでしまっている。嗚呼、イイワケなんかできない、芥川思いあまって、雨降りしきる自宅で(錠剤を飲むしぐさ)…、うう、

天を指さす仕草のまま固まる。

十年「お師匠さま、お師匠さま」

固まった師匠を揺さぶる十年。いつの間にか師匠は大盗賊の頭目、十年は弟子になっている。舞台は地獄の底。

弟子「と頭目!あ…ありゃア、カ犍陀多の兄貴じゃあるめえか!」

頭目を演じる師匠「ん?どうした、おい、あまり袖を引っ張るなってんだ、血の池に落ちちまうじゃねえか」

弟子、「ほら、ほら頭目」

袖を引っ張られながら頭目を演じる師匠は目を閉じる。

弟子「それにしても頭目ぅ、熱ちィでやんす。地面は焼いた鉄鍋みてえだし、川は茹だったまま、あっこの針山なんか応挙の絵みてえに熱で折れ曲がっ…    」

頭目を演じる師匠「うるせえ、黙ってろ!」

弟子を演じる十年「あ〜れぇ〜〜」

師匠、「どぼん。頭目の方はといいますと、なぜか怒りで身震いがとまらない。」

頭目を演じる師匠「あの胡麻粒はやはり、このおれと血の盃を交わした唯一無比の愛弟子。あげくこの、おれさまを裏切った犍陀多にちげえねえ、おや?それにしても犍陀多のやつ、なんでまたあんな闇のまんなかに…    頭目は、ここで額に埋まる三つ目の眼をひらきます。これがかの有名な千里眼。頭目が犍陀多の生前を覗いてみるというと、血も涙もない犍陀多が街を焼いております。それから寝込み、略奪、強姦、略奪、殺した赤ん坊の生皮を金や酒、莨や女に換え、また街を焼き略奪を繰り返している…、  ん?そこで頭目、何かの気配に気がつきます」

頭目を演じる師匠「おれの千里眼が…だれかに見られている…    」 

十年「師匠、お師匠さま」

師匠「え、」

十年「どうしちまったんですか、なにやらモゴモゴと、おれの千里眼が…だれかに見られているって、それって、お師匠の次回のネタおろし新作の『千里眼』のことですか? まさかし師匠の『千里眼』が盗作だなんてこと…   」

師匠「ううぅ、水をくれ、水、」

十年「なんです?」

師匠「ほら、水!」

十年「へい!」

十年、台所へと走る。柱の陰から師匠を覗く。

師匠「頭目はといいますと、地獄のまんなかに馬鹿でかい目玉を見てとりました。実はなんと、これが釈迦の目玉であります。

十年、舞台と客席をぐるりと見渡す。

十年「釈迦の目玉って、どこにあるんです? 」

師匠「ははあ、おれを見ていたのはあの目玉だな、よし、入ってやろう」

十年「よし、入ってやろう。なんてどこへ入るってんだい。今日の師匠はどうしちゃったんだい、まるでなにか狐にでも疲れたようだよ、おかみさんに言ってきようかしら、いや万が一だ、ポックリと逝っちまうかもしれねえな、(両手に唾をつける)よしこのまま、見てやろうとするか」

頭目になった師匠、両手に唾をつけ、釈迦の目玉のなかへと入っていく。

師匠「ぞっとするほど冷える夜だ。おっと、誰かきたぞ、やや犍陀多だ、藪に隠れろ」

犍陀多に間違えられている十年、師匠に水を持ってくる。

十年「師匠、お水です」

師匠「犍陀多が目をこすって足元をよく見ますと…、 」

十年「師匠、膝のところに糸屑が、」

師匠「こりゃあ蜘蛛じゃあねぇか、悪いなといって犍陀多、藪を這う蜘蛛を踏み潰そうとする」

十年「どうしちまったんだい、今日の師匠は、ほら(ペシペシと師匠の頬を叩く)、ほら、」

師匠「や〜めた。今日は西国まで出向いて砂漠の砂ほど人を殺したんだ。それに今宵の空は、ほら満月よ、おれさまの腹も財布も満腹満足。おめぇの命なんぞ犍陀多さまにとっちゃあ痛くも痒くもねえ、だがな、ここで蜘蛛の命まで取っちまっちゃあ、釈迦のバチが当らあってもんよ。ささうちに帰りな、」

十年「ささうちに帰りな、とおっしゃられてもお師匠、この私、この家に住み込みなもんなんで…、それで今日の私は、どこへ帰れと? 」

師匠「頭目が千里眼を閉じ目蓋を開きますと地獄の闇にぶらさがる犍陀多を、奈落の底から、魑魅魍魎どもが犍陀多めがけて、まるで蜜にたかる虫のように昇ってきます」

十年、膝をうつ、

十年「ははあ、わかったぞ、お師匠は、明日のネタおろしの演目の『千里眼』はだれかから盗んだ噺なんだな、それで噺の亡霊に取り憑かれているんだな」

『千里眼』を演じ続ける師匠「犍陀多は必死で糸にすがり、うえへうえへと昇っていきます」

十年、師匠の目の前に糸を垂らす。

師匠、夢中になって糸を手繰ろうとする。

十年「地獄の天井では、蓮に鎮座する釈迦が糸を引いております」

震える手で、十年の垂らす糸を掴もうとする師匠。

『千里眼』を演じ続ける師匠「釈迦の野郎、極道めが…」

十年「それで、だれの噺を盗んだんで?」

『千里眼』を演じ続ける師匠「え、」

十年「だれの噺を盗んだのだ…   」

『千里眼』を演じ続ける師匠「お釈迦さま、そ、それだけはご勘弁を」

十年「では、今日の夕飯は、うな重と天丼と千疋屋のメロンにするか、」

十年「ご馳走にするか、」

師匠と十年、硬い握手をする。

十年「では、今晩は、馳走になるとするか、ではおかみさん、出前をとって参れ、」

『千里眼』を演じ続ける師匠「頭目、血の池で蠢く無数の影から弟子の腕だと思われる一本を引きずりだし智慧を吹き込みます。あの糸にたかる強慾を喰らい尽くしたものだけが極楽浄土にいけるのだ。頭目に落とされ、血の池で生前の罪悪で苦しんでいる弟子は巨大な蜘蛛に化けます。そして糸にしがみつく犍陀多めがけて疾走し始めます。化け蜘蛛になった弟子は糸にたかる亡者や亡者を食らう魍魎どもを喰らいながらさらにうえへうえへと昇っていきます」

十年、目の前に並ぶご馳走を食べている。

『千里眼』を演じ続ける師匠「さて犍陀多はといいますと、一向にうえにあがる気配がありません。当たり前です。地獄から極楽へは億千萬里とあるのです。化け蜘蛛になった弟子は、罪人らの手や腕や太ももや脹ら脛や軟骨や膝、柔らかな肝臓、腎の臓、心臓、肺、胃、大腸、十二指腸、性器に溜まる栄養を吸い、骨の髄を啜り、眼球をほじり、それから耳、鼻、唇、破れた女の腹から飛びでる胎児を喰らいながらうえへうえへと昇っていきます…そして犍陀多に襲いかかります。てめぇ!この糸をだれのものだと思って…    降りやがれ!ててめえは!」

その刹那、糸は、ぷつっと、切れた。針山の門前で腰をおろし、いっぷくしていた頭目、すると…    無明のなかから、どしん。

『千里眼』を演じ続ける師匠「またか…   」

十年「またって、師匠、盗作はこの『千里眼』だけじゃなかったんですかい?」

『千里眼』を演じ続ける師匠「また、釈迦にしてやられた」

十年「お師匠さま、あといくつ、やってらっしゃるんで?」

『千里眼』を演じ続ける師匠「すると妙なことに針山で犍陀多と体を抱き合わせている弟子、つまりさっき頭目に血の池から引きずりだされたはずの弟子が、這いあがってくるではありませんか、まったくひどいでやんすよ、頭目ぅ、覇気で血の池にふき飛ばすなんて、ん、ありゃあやっぱり犍陀多の兄貴だ、それと抱き合っているのは百年の旦那…    」

十年「え、え!ひゃ、百年、ってつい先月、お師匠が破門した百年兄さんのことですか!嗚呼お師匠ぉ、自分で自白しちまったよ、こりゃ、きっと百年兄さんに取り憑かれているぞ、」

百年にとり憑かれている師匠「うるせえ、黙ってろってんだ!」

十年「あ〜れぇ〜〜」

百年にとり憑かれている師匠「釈迦の腐れ外道が…、頭目は億里眼をひらくため深い瞑想に入ります」

十年「どどどうしちゃったんだい師匠は、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、アーメン、」

百年にとり憑かれている師匠「闇に光る目を頭目はさらに睨める」

百年にとり憑かれている師匠、寄席のなかに光る、まるで地獄に蠢く亡者のような無数の百年の目を見つめる。

十年「師匠、いったいどこ見てるんですか?」

十年、師匠が見つめる寄席のなかを見る。

百年にとり憑かれている師匠「馬鹿でかい目玉と、目が合った」

十年「だれと?」

百年にとり憑かれている師匠「目が合った」


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