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舞台王国様:ゴキブリコンビナートからの手紙




ねむれない。
重度の不眠はキツイ。
ダイエットYouTubeの素材を探して、過去のじぶんの写真(痩せている時の)を探した。古いのは2000年頃の劇団チラシの素材写真(モノクロ)だった。大学時代の女友達とのキセル旅行(品川〜松山)もあった。

祖父の市会議員時代の給与明細も出てきた。北関東の中堅(二十万人)都市の市会議員の給与はそれほどでもなかった。

ぼくが学生時代に劇団をやっていたことはだれも知るまい。
ぼくはそれがトラウマなので忘れたことはない。
逆説的にいえば《劇団を挫折したから小説を書いている》ことになる。

昔の資料を探していると、ぱらり。ある紙を手に取った。
1999年か2000年の年末の2ちゃんねるのレス(そのプリントアウト)だった。うちの劇団のスタッフが外の小屋に折込チラシをしたところ不手際があった。折り込む時間帯を過ぎてしまっていて、折り込まないで帰ってきた。という。

■補足:2000年頃の東京の小劇場界隈の折り込み作業について。
指定された時間帯(16時〜18時とか)に折り込み希望劇団のだれかがきて、朝の新聞の朝刊を配る前のようにみんなでじぶんの劇団のチラシを織り込む。そういう慣習があった。
2000年以後には「劇団キャラメルボックス」の製作陣が「外部折り込みシステム」を開発。一枚三円とか。それが主流となる。いま2024年はどうか? そもそも《劇団公演の紙のチラシ》など存在するのか?

で、当時の2ちゃんねるで《騒ぎ立てられた感》を感じて、主宰であるぼくが謝りの電話を入れた。プチ炎上は消えた。

その当時の《劇団ゴキブリコンビナート》は現在もまだ元気に活動していた。ぼくら劇団が続けていれば同期になる。同期はあとは《劇団シベリア少女鉄道》《劇団、本谷有希子》(芥川賞受賞)かな。《ポツドール》なんてのもありました。思い出そうとすればもっとでるが、嫌な思いでも噴き出てくるのでこの辺で。
《ゴキブリコンビナート》は法政大学の劇研が発祥(こっちの発症だなぁ、笑)で、テントで芝居していたようである。ある噂が広まって、小劇場界隈に激震が走った。テント小屋のなかを真っ暗にして、ネズミを放ったのだ。真偽はわからぬが、おおよそやりそうな気配のする劇団であった。観劇に行けなくて残念だ。でもまだやっているそうなので機会があれば一度行ってみたい。とは思う。と、ここでは言っておこう。
《劇団ポツドール》で思い出したが、当時はここもすさまじい噂がたった。駅前劇場での公演で、公演中に生フ○ラチオをやったというウワサを聞いた。あの天井が低い天井にピンクの照明が付いて奥の影の方でそんななにかをやった。それが演技(芝居)でなく見せ物として生フ○ラチオをやったという。これは当時のウワサである。だが《ゴキブリコンビナート》も《劇団ポツドール》もこれが劇団なのだと思う。小劇場にプロもアマもない。表現だけがそこにある。

ポツドールのページで調べると:
下記の2001年の公演が「フ○ラチオ事件」かもですね。
第1回公演『ブサイク~劣等感を抱きしめて~』から第4回公演『妻ぜめ』までは、いわゆる演劇的な過剰なドラマを得意とした。
2000年7月、第5回公演『騎士クラブ』でそれまでの作風を一変させ、演劇的なものを最大限に排除したドキュメンタリータッチの作品に挑む。〈リアル〉を徹底的に追求したこの作品は〈セミドキュメント〉と称され、メディアに大きく取り上げられるようになった。
第6回公演『身体検査』(01年)では、舞台上で完全ドキュメントを実行。役者が一切、演技をせず、プライベートを背負ったまま舞台に上がるという表現手段は、多くの賞賛と批判とを同時に受けるが、その後も〈リアル〉にこだわった作品づくりに努めた。

京都に滞在していたときに京都大学の吉田寮(京都大学の学生自治区、いまは撤去の予定なのかしら? )で劇団を旗揚げしようとして失敗した。そのとき吉田寮の夜の会議(劇団やパフォーマンス集団が吉田寮の内部で公演する申請やスケジュール調整など)があって、参加した。そのときに「さいきん、面白い劇団ありますか? 」って聞いたら「《劇団ままごと》って売れてるらしいですよ」なんか劇団名が時代を感じた。あとは劇団名は忘れたが、公演の最中(本番中)に公演会場にデリヘルを呼んでサービスをしてもらおうとした(デリヘル嬢は帰ったのか、サービスしたのかは不明だが)という話を聞いて、胸が躍った。これが演劇だよ! いいなぁ。おれはノーマルな公演と笑いしかできないが、演劇も時代とともに進化してるんだなぁと。ゴキコン。参加しようかな。《ケイター》の営業活動(と演劇表現の勉強)で。笑。





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