もうバスケ観戦は私の心を救ってくれない。

こんにちは。Aoです。
久しぶりの更新かと思えばこんな物騒なタイトルでごめんなさい。

4月25日シーホース三河対島根スサノオマジック戦を現地観戦してきました。
色々と思うところがあったのでここに書き留めておきます。

試合内容としては前半は良かったものの、後半では踏ん張り切れず苦い敗戦となりました。

私は自分勝手なもので、勝っているときは気分が良く、何も気にならないものが、負けているとどんどん気になっていきます。
先日では、私の席の近くに座っている女性が、大声でプレーに対する反応や選手の名前を呼んでいることが気になりました。

Bリーグでは原則声を出す応援は禁止されていますが、無言で試合を観戦しろと言っているわけではありません。
その女性の歓声や選手への声掛けも見る人によっては気にならないでしょう。
でも私はどうしても苛立ちが抑え切れられず、段々試合観戦に集中できなくなっていきました。

ここで少し違う話をさせてください。
私が生きてきた二十数年で娯楽(エンターテインメント)に求めてきたものは辛い現実を一旦忘れさせて、それを見終わった後には辛い現実に立ち向かう力をくれるということです。

思い返していると、K-popにハマった中学2年生は、部活動がしんどくて毎日学校に行きたくなかったし、比江島慎選手をきっかけにして、Bリーグにハマった時は色々あって大学に行けてなかった時期でした。
でもそこで私は娯楽(エンターテインメント)から力をもらって、部活動は引退までやりきることが出来たし、大学も卒業することが出来ました。

でも今私はバスケを見るのが辛いです。その先にある辛い現実が透けて見えるからです。

コロナワクチンの接種は一向に進まず、3度目の緊急事態宣言が出された今、私の胸の中にあるのは政治に対する不信感と落胆です。

選手が東京オリンピックに向けて命を削ってプレーしていることはわかる。
でも、医療現場を守らなければならない。オリンピックに使うお金をコロナ対策に回すことが出来たら、今の日本のコロナの状況は変わっていたのではないか。

スポーツは素晴らしい。努力をしている人姿は美しい。
でも今生きている多くの人の命を守ることが大事だ。

それに、スポーツも芸術も世の中が、政治が安定していないと、為政者から簡単に不要なものと切り捨てられるのは、この一年で思い知らされたといえます。

それとやっぱり、私にとってバスケ観戦とは感情の発散の場で、それにはチームや選手の名前を気兼ねなく呼ぶことが出来るということが重要だったと気づかされました。

それをこの時期でも気兼ねなく行ってしまうその女性を羨ましく、疎ましく思ったのかもしれません。

私だってあの会場で誰かの名前を力の限り叫んだことがある。
それを出来ない現状は、本当に‘コロナウイルス‘そのもののせいなのか。
広い世界インターネットの力を借りれば他国の現状を知ることができる。
他国にできて日本に出来ない理由は何なのか。

もう私はさじを投げたい。



バスケ観戦は私に色んな体験をさせてくれました。本当にありがとう。

また会える日がいつか来るといいな。

その時までさようなら。




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