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バスケが生きがいの女がバスケ応援で卒論書いて卒業した話。パート1

みなさんこんにちは。Aoです。
そろそろ卒業シーズンですね。そんな私もこの春大学を卒業し、京都を離れ、実家がある愛知県で就職することとなりました。(拍手!!!)
それで、大学を卒業するには卒論を書かないといけないですよね。
それで私はだいぶ苦戦しまして(笑)最終的に担当教授に「好きなバスケで書けば?」と言われバスケをテーマに卒論を書くこととなりました。

しかし、バスケをテーマにするといっても何を書けばいいのやら
私はプレーヤーじゃないですし、経営についても書けないし、、、
ってことで私に一番身近なテーマである「応援」について書きました。
今回はそれをほぼ全文公開したいと思いますーーー。
でも全文一気に公開しても長すぎて誰も読まないと思うんで1章づつ公開していきたいと思います。(2万字あるんでね、、、)

ってことで今日は第1章「応援とは何か」を公開したいと思います。
正直1章と2章は突貫工事で書いたからあんまり自信が無い!
しかし、メインとなる3章につながるのでお時間あれば読んでほしいです。

卒論を公開するにあたって担当教授の許可はいただいております。
卒論本文とは一部変更された部分がありますが、ご了承ください。

しかし!!読むのメンドイ!ツライって方のために私が要約しときます。

 社会学者の手嶋英貴は応援を「対象への愛着や憧憬といった共同的心情と、自分本位の考えを退けようとする利他的/非利己的態度を伴った行為。」とした。
 つまり、応援をする側の意識が応援かヤジかを区別するにおいて重要なのである。
 しかし、この意識は個人の常識に基づいており、それは人それぞれ違うので、判断のズレが生じる
 また、手嶋は応援は、どんなに非利己的であると考えていても、根本には自分の欲求を満たしたいという矛盾した思いがあると述べている。そのうえで、自分の応援が非利己的であると考えたいのである。
 また、村上アシシは「サポーターはいくら応援しても試合の結果をコントロールできないと理性ではわかっていても、敢えて「応援でチームを勝たせた」と思い込むことで、とてつもない幸福感を得ているのではないだろうか?」と仮説づけた。

はじめに

 スポーツにおける応援の意味とは何だろうか?私たち観客が一生懸命応援をしても試合結果を変えることはほぼできないはずだ。それでもバスケットボール界における熱狂的なファン(ブースター)は試合会場で声を枯らして応援する。また、どんなに負けが続いても試合会場やテレビ画面の前で選手を応援する。この論文ではこうしたブースターの行動を分析し紹介していく。
 今回、第1章では応援とは何か、応援についての先行研究の紹介。第2章では日本のバスケットボール界の現状、バスケットボール応援者の特徴。第3章では実際の会場ではどのような応援が行われているのか3チームを実際に観戦し比較、検討していく。

1、応援の意味とは何か

 まず、スポーツチームを応援するとはどういうことだろうか。スポーツ応援で第一に考えられるのはチケットを買い会場へ出向き、声援を送ることである。そのほかにはレプリカユニフォームやチームグッズを買うという金銭的な支援も応援であるといえる。また、選手に声が直接届くことは無いがテレビ画面を見ながら声援を送ることも応援であると言えるだろう。

1-1、応援の定義

 社会学者の手嶋英貴は応援という行為を、「対象への愛着や憧憬といった共同的心情と、自分本位の考えを退けようとする利他的/非利己的態度を伴った行為。」(手嶋、2008、p.7)とした。つまり、応援はその行動がではなく応援する人の意識が大事だということである。例えば、「頑張れ」という声援は一見応援をしているように見えるが、応援する相手への愛着や憧れがないとブースターとしてはその声援には意味がないのである。さらには、スポーツ会場で適当に発せられた「頑張れ」という言葉には時にはヤジのような意味が含まれる場合もある。つまり、ヤジと応援を分ける違いは、声援を送る側の意識なのである。
 また、手嶋はこの応援という行為について問題を指摘している。それは、応援という行為がそれを行う人と、それ以外の人々の間で「判断のズレ」が生じるということである。つまり、どの行為が「応援」というであるかを判断するのは各個人の常識であり、それは、人によって大きく違っているということである。この判断のズレが生じたときに、応援は、自己満足、利己的な行為として他人から判断される危険性があるということである。
 また、手嶋は応援は、どんなに非利己的であると考えていても、根本には自分の欲求を満たしたいという矛盾した思いがあると述べている。その上で、人々は、自分の応援という行為がなるべく非利己的でありたいと考えているのである。これは、社会通念として利他的であることが美しいとされることであったり、応援をすることによって精神の浄化、更生するといった意味があるといえる。

1-2、なぜ応援に熱中するのか

 また、ファンが応援に熱中する理由について村上アシシは「サポーターはいくら応援しても試合の結果をコントロールできないと理性ではわかっていても、敢えて「応援でチームを勝たせた」と思い込むことで、とてつもない幸福感を得ているのではないだろうか?」と仮説づけた。また、この仮説を著者が出演するテレビ番組「フットブレイン」にて元サッカー日本代表の秋田豊に説明したところ、秋田は「応援が試合結果に影響する試合は50回に1~2回くらい確かに存在する。サポーターの熱い応援で試合をひっくり返すことができる」と語っている。また、村上はサポーターは自分たちの応援で試合を勝たせたという「成功体験」を得た試合を観戦すると、より試合会場へ足を運ぶ回数が増えるのではないかと述べている 。
 この仮説に基づいていると思われる意見はインターネット上でいくつか発見された。栃木SCの運営に関わっている江藤美帆は観客の分類について、「お客様が「自分がこの試合からなにが得られるか」を主眼にスタジアムに来ているのに対し、サポーターは「自分がこの試合において寄与できることはなにか」を主眼に置いている」と述べている 。
 また、日本スポーツ協会の坂柊貴はスポーツ観戦について「僕たちは勝手に期待して、好きにスポーツを観る。他人に押し付けてはいけない。」と述べている。また、スポーツ観戦自体も生活に必ずしも必要ではないと述べ、過剰に期待し、時にヤジを叫ぶ観客に対して自制を求めていた 。

1-3、野球、サッカーの応援方法

 現在に日本におけるプロスポーツの立ち位置と状況を簡単に説明する。日本最初のプロスポーツは野球(NPB)である。その後1993年にプロサッカーリーグ「Jリーグ」が設立された。現在Bリーグはこの二つのプロスポーツに追いつこうと模索している段階である。っている。入場者数も野球が一番多く、2200万人であり、次にサッカーが900万人となっている。バスケの場合、Bリーグ開幕以前は事業規模が100億円、入場者数が140万人とサッカーの約10パーセントしかなかったが、Bリーグ開幕以降は成長を続け、2018-19シーズン終了時には営業利益が221億円、入場者数が259万人となっている 。
 次に、野球の応援に関する先行研究を見ていく。バスケットボールに関する応援の先行研究は見つからなかったため、野球の先行研究とする。では、日本のプロ野球の応援では実際にどんなことが行われ、それにはどんな意味がおるのだろうか。
 野球の私設応援団による応援は、基本的に外野スタンドで行われる。杉田厚夫は『スポーツファンの社会学』第1章「スポーツファンの興奮の鎮静」で日本の野球の応援がアメリカと違う部分は、「私設応援団」の存在であると述べている。彼らは、球団から依頼されたり、雇われていない。席も自分で確保している。
 阪神タイガースを例に説明をすると、私設応援団は複数存在する。応援の方法は、ライト側に陣取った応援団長がすべての応援団にサインで応援を指示する。それにより、観客は太鼓とトランぺットの演奏に合わせてメガホンを叩き、歌うのである。また、応援団が指定した以外の応援は禁止されている。
 サッカーの場合はサポーターと呼ばれる熱狂的なファンが応援を先導している。彼らはたいていゴール裏で応援を行い、サッカーの応援の中心メンバー、ゴール裏で応援を行っている。ここではコールリーダーと呼ばれる人々が、太鼓と拡声器を使いチャントと呼ばれる応援歌を先導していく。野球では応援は攻撃の回だけ行われるが、サッカーでは攻守の入れ替わりが明確にないので、試合中はずっと応援歌を歌っている。さらに熱心なサポーターはジャンプしている。また、この応援歌のチャントはサポーター自身が作っており、毎年新しいものができるので、現在名古屋グランパスでは、約20個のチャントが使用されている。(例、風、It’s time for Nagoya)

参考文献

杉本厚夫編、(1997)、『スポーツファンの社会学』、世界思想社
手嶋英貴、(2008)、「〈応援〉の文化史」、『ポピュラーカルチャー研究』、Vol.1No.3京都精華大学表現研究機構
佐藤アシシ、「サポーターはなぜ人生を捧げてまで応援するのか? 心理学の面から分析してみた」、2018年11月8日
江藤美穂、「「お客様」と「ファン」と「サポーター」は何が違うのか」、2019年6月6日
坂柊貴、「僕たちは勝手に期待して、好きにスポーツを観る。」、2019年6月20日、

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