デザインの向かう場所、そして一人のデザイナーとしてできること
僕はグラフィックデザイナーをやっています。
デザイナーをやっているとふと「なぜデザイン」だったんだろうと考えることがあります。
僕はいろんなものに憧れていました。
音楽家、芸術家、漫画家、お笑い芸人、動画クリエイター、小説家、詩人、youtuber
これらは僕の成長の過程で、素晴らしい景色を見せてくれた巨人たちの職業です。
今でも憧れます、僕も同じように人を感動させたり笑わせたり、させてみたい。
そんなことを考えながら気がついたらデザイナーを目指すようになりました
ほんとにそれは突拍子もない転換でした。
デザインのすごいところ
「デザイン」って実はめちゃくちゃ抽象的な言葉です。
「愛」という言葉が時代によって変わってきたように、「デザイン」も社会と関わり続けてその意味をずっと変え続けてきました。
デザイナー、チラシ、ポスターといった、具体的なものはもちろんありますが。
もっと抽象的な部分と密接に関わっているのがデザインの特別な部分です。
今考えると、その捉え所のなさが僕の中でとても魅力的だったのかもしれません。
僕は昔から抽象的な事象を考え続けるのが好きでした。
愛とはなんなのか、死とはなんなのか、感情とは、夢とは
決して高尚なことではなく、どれもこれも先人たちが既に回答したような稚拙な答えばかりでしたが、考えているだけで心地よくて、今でもそんな感じです。
デザインにはそういった果てしなさがあったのです。
物事を追求できて、人や社会に貢献できて、作品が作れる
なぜ自分がデザインを選んだのか疑問でしたが、こういった条件を並べてみると、むしろデザインしかなかったんじゃないだろうかと考えます。
デザインの在り方とは
愛はなんのためにある?と考えることはとても難しいです。
それと同じように、デザインはなんのためにある?と考えることもとても難しいのです。
デザインには「答え」がありません。あるのは「最適解」だけです。
だからデザインに関わる人たちは果てもなく良くあろうとし続けます。
今、デザインはなんのためにある?と聞かれたなら
物事を良くし続けるためにあるのじゃないかなと僕は考えています。
もちろん仕事は全てそうなのですが、デザインはもっとダイレクトで、「物事そのもの」を扱うという意味で特別です
僕では、まだ遠く及ばないようなプロのデザイナーの方々は驚くような手法で世界をどんどん良くしています。
時には長く続いた意味や前提そのものを変えたりしながら、追求し続けているのです。
僕もデザイナーとして、そんな道を歩み続けたいなと日々考えています。
これからの発信について
良くあろうとすることは、結局、人生において大切なことだと思うんです。
なので、デザインを追求することは人生を良くすることに繋がっているなと感じますし、デザインを追求する過程には、人生を良くするヒントがたくさんあるように感じるのです。
これからは、そういったことを共有したいなと感じたので僕のnoteの発信では、そういった追求の記録を「Life×Design」というとっかかりで発信していこうかなと思います。
情報過多な現代、世の中では、さまざまな価値のある情報が溢れているとは思いますが、たまにはしがないデザイナーの小さな発信にも立ち寄ってみてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?