見出し画像

“心に刺さる針”!中島敦『山月記』&野矢茂樹『哲学の謎』

「学生時代に何だかんだ心に響いて未だに余韻の残る作品が1個は絶対あるよね!?」ーー 知人との飲み会🍶で飛び出した話題ですね👍

その際に私の脳裏を過ぎった本は中島敦『李陵・山月記 弟子・名人伝』野矢茂樹『哲学の謎』でした。

今回は以前に別ブログ🌏で触れた話題をもう1度改めて触れることにします💁‍♂️


『山月記』中島敦

個人的に最も好きな文学作品📕の1つですね🕵️

文学作品として教科書にも必ずや登場するであろう中島敦の代表的作品です👤

■参考:2023年04月03日閲覧

●〜あらすじ〜●
自尊心尊大な若者・李徴が、屈辱的挫折を経たある日に発狂して行方不明に。1年後、彼の友人・袁傪が山中で虎に襲われたが、突如として虎は何かに気づき茂みに姿を隠す。そして、自らを“李徴”と名乗る。その身に一体何が起こったのか…茂みで姿の見えぬ李徴の話に袁傪は耳を傾けるのだったーー。

正直、最初に目にした時は心の底に“悲哀”“恐怖”の感情が入り混じる虚無感が重たく痞えていましたね🤦‍♂️

心に杭の付いたずぶとい針がジリジリと突き刺さり、当時に精神的に大量出血した記憶は今でも鮮明にありますね、うん🤮

そして何より恐ろしいことが、今でもその“針”が心の奥に刺さったまま…これが怖い💦

その“針”に色々引っ掛かる度に心がズキズキ痛むうえ、何なら傷口から今でもチマチマ出血🩸しているほど…それくらいの“怖れ”があるんですよ、ええ。

今思えばこの作品の“怖れ”は“人の心”もとい“私の心”の写し鏡🪞であることが大きいです😑

誰しもが陥る“場所”であり“姿”であり“結末”であるかも知れない。正確にはすでにそうであるかも知れないという疑念が心に恐怖を写し出しているのではないか、と今でも思う。

この心の“針”は自分への戒めであり、同時に疑念が払拭されることのない“人間”である限りこのまま抜けることはないのかも知れません😥


『哲学の謎』野矢茂樹

著名な哲学者・野矢茂樹氏の作品で、いわゆる“哲学の入門書”に当たる作品です💁‍♂️

■2023年04月03日閲覧

●〜生物が絶滅しても夕焼けは赤いか〜●
赤色に染まる夕焼けを見ながら問われる ーー「地球上の全生物が絶滅したとして、それでも夕焼けは赤いだろうか」と。人が見れば夕焼けは赤色だが、仮に青色と黄色しか感知しない生物だけならきっと深い緑色。その生物さえも消えたら、夕焼けは一体何色と言えば良いのだろう。つまり、色はモノ自体が持つ本質ではなく、それを見る者とともに生じる合作である。ゆえに見る者がいなければ、そのモノは色を失う。そもそも世界には色はなく、単に人間の視野に現れる1つの性質を色と呼んでいるだけだ。

もう1度問う ーー「地球上の全生物が絶滅したとして、それでも夕焼けは赤いだろうか」
『哲学の謎』ー 野矢茂樹
参考引用:2023年04月03日

この命題『生物が絶滅しても夕焼けは赤いか』は当該作品の最初の1ページ目にあります👀

本当に哲学らしい問いで、この主張自体に致命的欠点がないにも関わらずスッキリしないモヤモヤ感が残るんですよ🥸

ちなみに、私の場合はブルーバックス📘など科学本🥼が大好きです👀

そして、光学において「色」とは“可視光線の組成の差異を、クオリア差異を識別可能な視覚で捉えた際の認識”と定義されます🌏

つまり、光自体に“色”という性質は存在しない🧑‍🔬

それにも関わらず、私を含めて人に「夕焼けの色は何色?」と聞いてみると、やっぱり「赤色」と返すあたりに夕焼けの色は赤色と認識されているわけです🌆

では、その認識する者がいない夕焼けの色は…?


人の心に残る作品には琴線に触れるモノ、心に針が残るモノ、考えること自体が面白いモノとさまざまな種類があるんですよね💁‍♂️

是非ともそんな作品たちがあれば教えて頂けると1つの楽しい会話ができそうです📚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?