見出し画像

#3 やりたいとなりたい

みなさんこんばんは。おにぎり先生です!

最近は実地研究といって、実際に学校で子どもたちと関わったり授業をしたりしながら研究をする、アクションリサーチを行っています。

9月末までの期間となるのと、その期間に研究発表があるので、しばらくガッツリとした投稿ができません…

とりあえず提出資料は書き終わったので、あとは発表用のパワポと実態把握に基づいた指導案を書かねば…というところです。

さて、今回なんでnoteに投稿しようかなと思ったかというと、数日前、こんな相談を友人から受けたからです。

『なんで教員を目指すのか、分からなくなった』

その子にはその子の事情があり、自分自身もそうだよね、つらいよねと思うところがありました。

実際、学部にいたときもそんな言葉を周りから幾度となく聞きましたし、これまで自分自身も「なんで教員にこだわるんだろう」と思うこともありました。

そこで、その相談を受けたあと、自分自身も「なんで教員にこだわっているんだろう」と改めて考えてみました。

私は人の悩みについて聞いたり、傾聴したり、共感したり…そんなカウンセリングを学部で学んで、「カウンセリングって難しいけど素敵だな」、「話を聞くことで生きづらい人に寄り添えたらな」と思いました。

正直、自分にとって「やりたい職業」はカウンセリング系の仕事なのかなと思ったりします。人の相談に乗ることは結構好きですし、自分も相談に乗ってもらうことで救われることもあるので…

私は教員の職業が少し苦手だなと思うときがあります。

まず、教員は叱らなければならない場面があります。これからを生きる子どもたちのために必要なことです。私自身、怒ることと叱ることは違うことだと学んでから、叱ることに意義があることも十分に分かっています。ですが、やっぱり叱っているときの自分は好きではありません(みんなそうか?)。ずっと笑顔でいたいし。だから私は、叱った後にできたことを必ず褒めるようにしています。若しくは、「じゃあ、これからどうしていけばいいだろう?」と子どもに理由を感がられるような声掛けをします。叱っているときの自分を肯定的に思えるようになることが自分の課題だと思っています。

あと、大勢の人の前で何かをすることがもともと好きではないです。昔から緊張しいで、視線が怖くて、社交不安なところがあります。子どもたちの前で授業をするのは問題ないのですが、同級生から見られる模擬授業、学校で同僚や先輩から見られる研究授業などはとても怖いです。もちろん授業をみてもらうことが資質能力の向上だと分かっています。しかし、大勢の人の目線というのは、昔も今も慣れないのです。

では、なぜ教員に私がこだわるのか。

それは、教員が「なりたい職業」だからです。

正直私のような性格は教員に向いていないかもしれません。どちらかというと、集団を高めるというよりも、個に寄り添う方が私の正確には合っているからです。

それでも教員は、子どもにとって保護者以外で一番近い大人です。

子どもによっては、それがカウンセラーの先生であったり、保健室の先生であったり、隣のクラスの先生であったり、、もしかしたら学校以外の大人かもしれません。

でも、学校の中で、子どもが「生きている今」に最も責任があるのは、「そのときの学級担任」であると思います。それと同時に、「一番の子どもの理解者」である必要もあると思います。

カウンセラーの先生や保健室の先生に相談するのは、ハードルが高いことだと思います。その先生がいる教室やカウンセリングルームに行くことは、子どもにとって「ちょっと頑張らないといけない」援助要請をするスキルが必要です。(詳しくは#2

これは私の経験なのですが、小・中学校時代は保健室等だけでなく、担任の先生にも相談に行けませんでした。ハードルが高過ぎました。高校時代は保健室に行くことが多かったのですが、それでもやはり、同級生からの周りの目を気にしたり、親にばれませんようにと思ったり、様々なところに気を使っていた気がします。

現在は教育相談の見方も変わって、そのような場に行くことを悲観的に思う子どもたちは少なくなってきたと思うし、教室やカウンセリングルームも温かな環境で、傾聴する雰囲気が大切にされてきている印象を受けます。

でも、これは私の持論ですが、学校にいる間は、子どもにとってまずは学級担任が相談できる人間である必要があると思うのです。子どもとの信頼関係は、授業にも生徒指導にも影響します。ということは、子どもが相談できる・担任が相談に乗ってあげられる関係性が築けていないと、子どもは学級を居場所と思わなくなってしまうと思います。私も経験として、「担任の先生が相談しやすい人だったら…」と思っていた時があります。こんな私の過去も影響しているのかなと。

たとえ子どもが学級担任に相談できないとしても、そのためにできることはあります。橋渡しになったり、簡単な助言をしたり、子どもを見守り続け、子どもが相談できる別の大人と連携したり…力の限り動ける大人。

それが教員であり、学級担任であると思います。

私は学級担任がしたいです。


まだまだ発展途上の人間なので、理論のみならず経験をもっと増やし、先ほど述べた自分の苦手とするところも努力し、理論を体現する実践者として教育現場に関わっていきたいと思っていますが、

私が教員にこだわる理由は、こんなところにあるのかなと思います。

「やりたい」と「なりたい」

もちろん、「なりたい」は「やりたい」があってこその「なりたい」であると思っています。これからも私は、「なりたい職業」になるために、日々自己研鑽をし、成長していけたらと思います。


最後に、私が救われたドラマ『カルテット』を書いてくださった坂元裕二さんの最近のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』で自分が好きな挿入歌をご紹介して終わります。タイトルは「All the same」。聞いていて、「あ、こんな自分でも生きてていいんだな。肯定していいんだな。」と琴線に触れるような感覚を覚える曲です。

ドラマではこの曲が絶妙なタイミングで入り、泣かせようとしてるわけではないのに思わず涙腺が緩んでしまいます。

実地研究が終わって落ち着いたら、坂元裕二さんについての記事も書きたいなと思います。


この度はここまで読んでいただきありがとうございました!

自分の記事を読んでくださった方が、少しでも前を向いて生きていけますように。

それでは、おやすみなさい。

おにぎり先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?