君とみた花火は

夏も佳境に入り、日中は暑くてたまらないお盆明け。昔だったらお盆明けは少しは涼しくなったような気もするけれど、暑さは相変わらずどころか酷くなる一方だ。

 塾の夏期講習の帰り道。私は幼なじみの尊治と帰っていた。

「あーあ。毎日勉強漬けで参っちゃうぜ」

 私たちは高校2年生。来年は受験だからと大人たちにハッパをかけて、やれ夏期講習だ模試だで毎日忙しい。

 私はうなずいて、

「せっかくの受験前の最後の夏休みなのにね」

「そうそう。あーあ。彼女だってまだできてないのになぁ」

 尊治はそう言うと、コンビニで買ったアイスの実を開けて食べ始めた。

「お前も食うか?」

「ううん。大丈夫」

 おっけ、というと彼はまた一粒アイスの実を口にした。そして遠くの、目も冴えるようなオレンジ色の空を見ながら、

「もうすぐ、花火大会だな・・・・・・」

 その言葉に心が陰る。何も返事ができない。うなずくことすらもできなかった。

 私は、花火大会が嫌いだからだ。



 私の住んでいる地域に、大きな川がある。そこの河川敷にて毎年花火大会を開いていた。戦後間もなくから始まったため、実に70年以上の歴史があった。地元の人だけじゃなくて、中には県外から来るほど大きな大会で、また夏の終わりにやるという珍しさからでも結構有名だった。

 4年前の夏。私はまだ中学1年生。夏休み明けにテストも控えていたけれど、私は初めての彼氏の優輔とともに花火大会に来ていた。勉強しなさいという親をなんとか説得して、私たちは初めてのデートに来ていたのだ。

 河川敷近くの公園で優輔を待っていると、約束の時間より5分遅れて

「おまたー」

 と、彼がやってきた。

「遅刻」

「でもまだ5分だよ?まだ始まんないし!」

「5分でも遅刻は遅刻!せっかくの学校以外でのデートなのに」

「ごめんてー!なんかおごるからサー!」

 優輔のこの暢気で明るいところが好きだった。ばかなことを言ってはみんなを笑わせて、場を盛り上げる。でも、芯が強くていじめられている子を自分の身を挺してまでかばうような、そんな強い子だった。

「それにしても、杏奈の私服って新鮮だなー!」

 優輔は遅刻をしたのに悪びれもせず笑っている。本当は浴衣を着ていこうと思っていたけれど、浴衣を用意できずに結果ワンピースできた。

「浴衣が、よかったな」

「うーん。でも、ワンピースもかわいいじゃん?」

 ああ、なんて優しい言葉をかけてくれるんだろう。でもそんなところが大好きなんだよな。

「おっ、カップルいるじゃーん」

 公園前の通りから尊治の声が聞こえてきた。友達と来ているらしく、男子数人でこちらを見てにやにやしている。

「み、見世物じゃないって!」

「あははっ!かわいいっしょ!俺の彼女!」

 優輔はすごく嬉しそうに言った。

「クソ、のろけてんじゃねえぞ!」

「あんなバカップルおいて行こうぜ!」

 と、尊治たちは河川敷へと歩いて行った。何が目的だったんだ。

「・・・・・・さてと。俺らも行こっか」

「うん!」

 すると、尊治は手を差し出した。

「えっ?」

 驚きのあまり私は声を上げる。すると彼は恥ずかしそうに

「だ、だって、はぐれちゃ・・・・・・いけないじゃん?」

 私も顔が熱くなる。

「わ、わかった」

 と、ぎこちなく彼の手を取って歩き始めた。


 そのあとの記憶はとても幸せだった。一緒に歩いて、遅刻のお詫びにとかき氷をおごってもらい、2人で並んで一緒に食べた。ブルーハワイのかき氷を食べた優輔はハワイの味がすると言った。私も食べたけど、特にそういった情景は浮かばなかった。

 でも、不幸は突然降りかかる。

 その花火大会中に、大きな爆発事故があった。露店においてあった燃料が引火して大きな爆発をしたのだ。私たちはちょうどそのとき、飲み物を買おうとちょうどその露店の真横に来ていた。

 私は、足に軽いやけどをした。ほぼ真横でものすごく近いところにいたのに、そこまでのけがで済んだのは、優輔がとっさに私をかばったお陰だった。

 そのせいで優輔は全身―特に背中に大やけどを負い、3日後亡くなった。

 大きな喪失感と、なぜ自分だけが助かったのかと、後悔と自責の念に駆られた。お悔やみにも通夜にも行ったが、彼が死んだそのときのことを思い出して涙が止まらなかった。せめて、優輔が私をかばわなければ、一緒に逝けたのかもしれない。そう思って仕方がなかった。

 まだ、1枚しか写真を撮っていなかった。

 まだ、デートらしいデートもしていなかった。

 まだ、お互いのことをしっかり話してもいなかった。

 まだ、思い出をたくさん残せているわけじゃなかった。

 まだまだ、私は優輔のそばで、優輔の笑顔を見ていたかった。

 それなのに・・・・・・。なぜ・・・・・・。

 あれから私は花火大会には行っていない。花火の音を聞くだけであの日を思い出してしまう。花火の写真だけならまだ大丈夫だけど、それでも音を聞くたびにあの日の、最後に見た優輔を思い出してしまう。直前までばかみたいに笑っていた彼の、変わり果てた姿を・・・。



「杏奈?」

 突然尊治が私を呼んだ。

「へっ?!」

 私は驚いて大きな声を出した。ぼーっとしていたらしい。

「そんな驚くなよ。全く」

「ごめん」

「まあでも・・・気持ちはわかるけどな」

 尊治はあの日、離れたところにいたから無事だった。でも、優輔ともかなりの仲良しだったから、それだけにショックは大きかった。

「花火大会、今年も行かないだろ」

「うん。怖いし・・・・・・」

 あれから露店への指導も厳しくなったというし、行政も再発防止に動いているだろうが、また起こるんじゃないかと思うととても怖くて行けなかった。まして花火の音が大量に降り注ぐ環境に行ったらパニックになりかねない。

 まあそうだよな、と尊治は言うと、

「じゃあ、まだ誘えないよな」

 と、ぼそりと言った。

「えっ?」

 私がなんて言ったか聞こうとすると、

「何でもない」

 と、はぐらかされた。何でもないわけなくない?とは思ったけれど、しつこく聞くのも何だかなぁと思いやめておいた。

 尊治は気を取り直すように、

「明日暇?」

「暇だけど」

「じゃあ、家に来いよ」

 尊治の突然の「お誘い」に思わず身構えた。

「何も企んでないから!妹が線香花火したいんだって!」

「線香花火?」

「そう。でも俺と2人でやろうとしたら、杏奈ちゃんも来てほしいってゴネてさ。無理にとは言わないけど、どう?線香花火はおとなしいから音しないぜ」

 そうだけど・・・。でも・・・・・・・・・

「大丈夫だよ。そんな5本も10本も一気に燃やすんじゃないだからさ」

 そう笑う尊治の笑顔は、どことなくあの日見た優輔の笑顔に似ていた。その瞬間、胸に覚えのある痛みがちくりとして、涙がこぼれそうになる。

 だめ。今は泣くな。とっさに思って、私は顔を背けて、

「じゃ、じゃあ行く・・・・・・」

 尊治は、

「よしっ。じゃあ、明日飯食ったらうち来いよな!」

「はいはい」

 ああ、また私は花火を見るんだ。

 何年経っても、色褪せない無情な記憶。

 だけど、いつまでもその無情な記憶に縛られて生きている私を見たら、優輔はいったい何を思うんだろう。自分の身を捨ててまで守った私が、今こんなにも過去に縛られている姿を見たら、何を感じるんだろう。きっと、「そんなの杏奈らしくないよ」って言うんだろうな。

 もちろん、それは「残された」人々の憶測に過ぎない。

 でも、それでも。そうだとしても。

 あの日、優輔とみた花火は、きれいだったなぁ。

「おい、またぼーっとしてると今度はぶつかるぜ?」

「ぼーっとしてないし!」

「へへっ。そうかいそうかい」

 意地汚く笑う彼は、やっぱり優輔とは違うな。そう思ったけど、まだ胸には覚えのある動悸がしていた。いつか、優輔に対してわいたあの感情が心のどこかでわき上がっていた。


 いつか私は、またあの日のように、誰かと肩を並べて花火を見れる日が来るのだろうか。


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