見出し画像

きもちをのせる


 小学生の頃、授業中に手紙を書いていたのがバレて、先生に怒られた。冬休み前、クラスメートから「年賀状書きたいから住所教えて!」と下手くそな字の手紙をもらった。中学生になって、風邪を引いたその日「明日の予定だよ」と、近所に住むクラスメートが、わざわざ私の家に寄って手紙をくれた。散々ぶつかり合って絶対こいつらとはもう話さないと決めたはずなのに、部活の最後の発表の時に「色々あったけど最後は最高の演奏を一緒にしようね」という手紙をもらってほろりと涙が出た。高校生になって、クラスメートの子が「彼氏と付き合って100日なの!メッセージ欲しい!」という手紙をもらった。尊敬している先輩から「ありがとう」と先輩の引退の時に手紙をもらった。

 こうやって手紙をもらう習慣は確かにあったはずなのに。社会人になってから手紙を書かなくなった。みんな仕事を始めて忙しくなって、文字を書く時間も惜しくなったのだろうか。いや違う。SNSで気軽に話せるようになって、手紙を書くよりも簡単に気持ちを伝えることができるようになったのだ。

 時代の進化だなぁ、と思うとともに、どこか寂しげな気持ちにもなる。

 ずっと仲が良くて、大好きなはずの友達と、喧嘩をした。遠くにいて、直接会って殴り合ったとかではないけど。彼女の相談に乗っていたはずなのに、価値観の違いから「信じられない」「理解できない」「ふざけてんのか」と、荒々しい感情を彼女に投げかけた。最初は黙っていた彼女も、「そこまで言う?」「何もわからないくせに偉そうに」と、反撃をし出した。お互いだんだん冷静にはなっていったけど、それでも、わだかまりを残したままだ。毎日話していたはずなのに、つい先日も彼女の誕生日をお祝いしていたのに。もう1週間以上何も言葉を交わしていない。

 彼女自身がどう思っているのかは知らないけど、私は頭を冷やしたかった。後にも先にも、あの時みたいに感情を顕にして話すことはないだろう。それくらい感情的になっていたし、合理的な話をしていなかった。私らしくない。後になってそう思うけど、逆に言えば彼女は私の地雷を踏みつけていたのだ。

 しばらくは、ケンカの傷跡が熱を持って、傷んだ。怒りとか悲しみが消えなくて、イライラしていた。SNSで彼女を見かけるたびに嫌気がさしていた。でも、ギリギリの優しさでフォローを外すことはしなかった。本当に彼女が、私の中から出ていってしまう気がした。こんなにも怒りで包まれているのに、心のどこかで、彼女に執着している。気持ちが悪いけれど、呆気なく関係が終わるのが怖かった。

 ふと思って、私は部屋の隅の棚にある小綺麗なお菓子の小箱を取り出した。そこには、小学校の頃から現在までもらった手紙をしまっていた。古いものは小学校3年生。直近では最近プレゼント交換をした人との物まで。もちろん、彼女のものもあった。
 小学校の頃の友達も、SNSで知り合った人とも。みんなSNSでは繋がっているのに。手紙はこの小箱に収まる分だけだ。元々友達が少ないのもあるからだろうけど、それだけ手紙を書く機会が少なくて、高校を卒業してからぐんとそれが減った。懐かしくなって、手紙を読み耽る。画面上の文字でない、本人の直筆。不器用な字もあれば器用で読みやすい字のものまで、たくさんの文字が、いろんな感情を乗せていた。

 私はふと、机の引き出しを開けて、便箋を取り出した。ニョロニョロとして、不器用で、お世辞にも上手いとは言えない字。それでも、私は気持ちを乗せて、画面上の文字ではなくて、自分で書いた文字で気持ちを伝えようと思った。

 彼女に手紙を書くのは、2回目。1度目は、彼女が仕事で心を病んでしまった時。自分にできることは何か考えた結果それしか思い浮かばなかった。そして、今回。思えば、その1回目からもう1年が経ったんだ。あの時は、「手紙ありがとう」言われただけで、これと言った返事はなかった。今度は、返事をもらえるだろうか。

 ここで縁が切れてもしょうがない、私の地雷をあの子は踏んだんだ。そう思っても、やっぱり心は彼女を求めていた。執着だ。どんなに仲良くたって、終わりなんて一瞬だ。誰かが叫ぶ。それでもいい。私は、もう一度、あの子と笑顔で話がしたい。

 橙色の花柄の便箋に、ピンクのシールを封筒に貼って。不器用な文字で宛名を書いて、切手を貼る。

 ささやかでどこか暗い気持ちを乗せて、手紙は赤い箱へ吸い込まれていった。

《了》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?