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レモンの花が咲いたら 最終話

最終話 あるLIVEのトークより


 こんばんは。屋敷玄です。今日は、僕のLIVEのために足を運んでくれて本当にありがとうございました。こんなにも広い会場が満たされるほどの人々が来て下さったことに、僕はとても感動しています。僕はほかのアーティストと比べてLIVEに出る数が少ないとは思うのですが、それでもこんなに僕の音楽に耳を傾けてくれる人がいるのは、嬉しいことです。

 こんなにもたくさんの人が訪れているのだから、きっと皆さんに何かしらの出会いがあったのだと思います。それは僕と此処で会う、だけじゃなくて、会場内外で、とか、本当にいろいろ。

 僕には、何年経とうとも忘れられない出会いがあります。まだ、僕が「屋敷玄」ではなく、「Roku」で活動していた頃、1人の女性と出会いました。

 彼女は僕より年が下でしたが、ずっと入院していて、目も見えず、自由に歩くこともできない方でした。瞳には膜が張られていて、それが彼女と世界との間を阻んでいたんです。

 でも、そんな彼女の瞳は、この世の何よりも透き通っていて、輝いているように俺には見えました。

 病院でたまたま会ったとき、彼女は俺に友達になって欲しいと言ってきました。自分には今まで友達という存在が居なかったから、ということで。

 正直すごく戸惑ったけど、彼女を一目見た瞬間から雷が落ちたような、ものすごい衝撃があったんです。今思えば、その時から僕は彼女に恋をしていたんですね。

 でも、彼女の病状は芳しくなく、日に日に弱っていき、出会って1ヶ月と少しで亡くなってしまいました。亡くなった当初は、現実味が無くて、夢だったんじゃないか、と思う程あっけなかったです。

 それでも、その1か月は僕にとって本当に幸せでした。

 当時僕は、人生で多分1番辛い時で、もともと自閉症だったところにうつ病を発症させていたんです。だから、人と話すのも、外に出る事すらおっくうでした。また、せっかく都会に出ても、「屋敷玄」の曲じゃなくてVOCALOIDという隠れ蓑を着た「Roku」として見られるのもつらかった。僕には音楽をとったら何もないんだ、と言われているようで。

 でも、彼女は純粋に「屋敷玄」としての僕をずっと見てくれて、そして笑っていていくれた。その姿が本当に愛おしくて、大切で。出来ることなら、もっとそばに居たかった。当時俺は20歳で、彼女は17歳くらいだったけれど、それくらい僕は彼女に恋をしていた。

 でも、その時はやってきたんです。彼女が倒れて意識をなくしてしまった。主治医の先生にはもしもの話をされたりして、もう本当に死んでしまうのかと絶望しました。

 けれど、彼女は目を覚ましたんです。そして、僕に「顔が見たい」と言ってきたんです。彼女は言わなかったけど、たぶん自分がもう長くないと分かってたんだともいます。どこかでそんな気がしたから、俺は先生に無理を言って目の移植手術をしてもらい、彼女は目が見えるようになりました。そして、俺の顔を見て旅立っていきました。

 あの時の彼女の顔は、未だに忘れられません。本当に幸せそうで、すべてが満ち足りたような顔をしていました。

 ずっと暗闇の中を歩いてきた彼女は、最後に「この世界は美しいんだね」と言っていました。最後に見た夕焼け空が、彼女にとって最初で最後の空でした。

 僕らは、こんな世界なんか、とか、最悪な世界、とか思ったり、言ったりしていますが、それでも、こんな世界でも。僕は彼女が言ったこの美しい世界を、守りたいと思います。

 僕は歌う事しかできません。けれど、僕は僕が出来る事をして、少しでも空にいる彼女に思いが届くように。そして、本当に、この世界を生きるみんなが、ここは美しいんだと言ってもらえるように、精進したいと思います。


 最後に。

 僕をここまで成長させてくれたのは、まぎれもなくここにいる皆様や、音楽を聴いてくれる皆様、そして彼女のお陰です。

 ありがとう。感謝を込めて歌います。


                                ≪了≫

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