脳内旅行しよう②
さてさて。
前回アメリカだったので、今日はグイッと方向を変えて、インドに行きたいと思います。
インドを訪れたのは、かれこれ3年半くらい前。
大学4年の夏にイギリス留学から帰国後、後期が始まるまでの休みを利用して((就活もせずに))2週間バックパックを背負って北インドを放浪しました。
心配性の母から「一人で行くのだけはやめてくれ」との仰せがあったので、同じ留学仲間の女の子と二人で旅したのでした。
なぜインドなのか
いつからか明確にはわかりませんが、おそらく高校時代に世界史を勉強したあたりから、「インドに行かなきゃ」「インドには生命の始まりがある」という謎の使命感がありました。
それに加えてインドの旧宗主国だったイギリスに留学していたことで、
"世界には私たちにとっての非日常を日常としている人がいる"
"その地球の裏側の世界を自分の目で見なくては"
という想いがニョキニョキっと育っていきました。
「インドで価値観変えたい!」とまで思ったわけではないですが、目にしたことのないものに対しての興味関心・好奇心が原動力でした。
ここからは、訪れた都市別に見出しで区切ってお話ししていきます。
(一度に全部は書き切れないと判断し、3都市ずつ2回に分けます!)
人間不信の始まり:ニューデリー
実はインドの首都はデリーとされていますが、中央行政機関など主要期間はニューデリーにあります。
国際便が就航しているのもニューデリー。わたしもここに降り立ちました。
街に出て感じたこと。
「人!!ひと!!ヒト!!」
さっすが人口13億人、10年以内に中国を追い抜くと言われている国です。
そして暑い。密度が高い。しかも顔が濃い。
夏に行ったせいで気温も湿度も高かったのですが、なにより人の接触がすごいんです。
匂いも、お世辞にもいい香りではない。
商売気むんむんの彼らにとってお金持ちの日本人なんてただのカモ。
3歩進めば誰かが声をかけてきました。
もちろん、何を言われても買う気はないので全部無視です。
そのうち気づいたのは、目が合うと話しかけられるということ。
ここで大活躍したのがサングラスなんですね。
紫外線よけという本来の目的を外れたところで非常にお役立ちでした。
次の目的地アグラへ行く列車に乗ろうと駅に向かったときも、トゥクトゥクのあんちゃんに吹っかけられました。
旅行会社と手を組んでるのか何なのかわかりませんが、やたら高いチケットやツアーを買わせようとする。
そして「すでにチケット調べてるから」と断固拒否する私たちに全くひるまず、
「その列車運休だよ〜今日は駅閉まってるよ〜」と謎のことを言い出す。
いつまでたっても駅に連れて行ってくれない。
「もういいよ勝手に行くから!」と違うトゥクトゥクに乗り換えたのですが、そこでもまたトラブりました。
何の話だったか、
「日本人の女性は何でも言うこと聞くよね〜」
というようなナメたことを言われ、カッチーーーン。
「Excuse us?? What did you say!? Shame on you!!!」
と言って乗り捨てました。
案の定、目当ての列車には乗り遅れ(ちなみに運休なんてことは真っ赤な嘘で、ちゃんと動いていました)、チケットを書い直すハメになったのでした。
早くも旅のピーク:アグラ
そんなこんなでやっとたどり着いたアグラ。
目的はもちろん、タージマハルです!!
タージマハルは、ムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが、愛する奥さんムムターズ・マハルの死を嘆き悲しんで建てた、いわゆるお墓。
なんと22年もの月日をかけて建てられました。
人の少ない朝イチを狙って行きましたが、やはり超有名どころだけあって開門と同時にそこそこの人がいます。
それでも、長年憧れ続けたタージマハルとのご対面は、とても神秘的な瞬間でした。
セキュリティチェックを受け、土足は禁止なので裸足or靴の上に袋を被せて中に入ります。
裏手にはヤムナー川が流れており、上から眺める景色に心が洗われます。
"ちゃんと空気を吸ったのいつぶりだろうか"
と思うほどにスーッと空気が入ってきて、ヤムナー川がガンジス川にすら見えてきます。(まだ見たことないけど)
そして記憶が正しければ、本場インドのカレーを初めて食べたのもアグラでした。
もともとインドカレーは大好きなので、毎日毎晩カレーを食べるのを楽しみにしていました。
ただ、日本で食べるインドカレーとはちょっと違う。
もう少しあっさりしていて、甘さも控えめ。
ナンではなく、大抵はチャパティが付いてきます。
やっぱり日本のお店は日本人向けにアレンジしてあるんだなと感じました。
「まだまだいろんな店でカレーを食べ尽くすぞー!!」と意気揚々としていたのも束の間。
この2日後にはインドの洗礼とも言える"腹くだし"を体験し、後にも先にもこれが最後のカレーとなったのでした。
チャンチャン。
インドの薬は最強:ジョードプル
アグラから一旦ニューデリーに戻ったのち、寝台列車で向かったのはブルーシティの別称を持つジョードプルの街です。
寝台列車について少し言及すると、思っていたより快適だった!というのが私の感想です。
チケットは事前にネット予約。
2段ベッドのようになっていて、セキュリティを考慮して上の方を選んだのでトイレの度に降りるのは面倒でしたが、それ以外は不便無し。
どこかの駅に到着する度に、チャイやらカレーやらバナナやらを持って売子が車内に乗り込んできます。
夕方になると車掌さんが毛布を配りに来てくれて、日が暮れてしばらくすると各々横になって寝る、という感じです。
揺れも予想よりはるかに小さく、ちゃんと寝ることができました。
早朝目的地に到着し、旧市街へ出るとそこはブルー!ブルー!ブルー!
その名の通り、建物がすべてブルーに塗られた街でした。
宿泊していたホステルからはメへランガール城塞やサルダール・マーケットが徒歩圏内。
私たちも歩いて観光に出かけました。
メへランガール城塞は、昔この地域のマハラジャが住んでいたお城です。
崖の上みたいなところに立っていて、急勾配の坂を登っていきます。
炎天下の中歩き続け、「あーなんか熱こもってるな...」と思っていたらみるみる体調悪化。
体は重いしクラクラするし、そしてたぶん測ってはないけど熱めっちゃある。
これはやばいと思って近くの薬局で水と生理食塩水の粉を買ってホステルへ帰還。
幸い、受付の奥さんが気を利かせてくれて、「これ飲みな」と薬を渡してくれました。
これがまた日本では見かけないサイズのギリ飲み込めるくらいの錠剤なのですが、あれこれ考える気力もなくゴックン。
そのまま死んだようにベッドに横たわりました。
次の日目が覚めると、あらまぁ平熱に戻っているではありませんか。
まだ若干だるさはあるけど全然マシ。
"現地での病気は現地の薬が一番"と悟った瞬間でした。
ちなみに、この日くらいから私はお腹をくだします。
何が当たったのか、もはや心当たりが多すぎてわかりません。
食べ物を胃に入れると、30分後くらいには下から全部出ます(笑)
体内に留まっている時間が短すぎる。
逆に何も食べなければ腹痛すら起こらないので平和です。
旅を一緒した友人も同じようなタイミングで同じ症状が出ていましたが、3日もすると慣れてしまい、食べたら出るという生理現象を完全に受け入れた私たちだったのでした。
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そんなピーピーのお尻を引っさげてさらに西へと向かう話はまた次回。
ジャイサルメール・ジャイプール・ヴァラナシについてお話しします。
ナマステ〜