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わたしが料理をする理由

料理(りょうり|リョウリ)

みなさんは、「料理」という言葉の意味をご存知だろうか。
もともと この熟語の持つ意味として、
物事をうまく処理すること、整えること
というのがあるらしい。

よく、なぜそんなに料理が好きなのかその理由を問われることがあるのだが、この根本の意味を踏まえることで幾ばくかうまく説明できそうな気がする。

物事を処理する、整える

わたしはよく料理をする。
よくというか、ほぼ毎日。

「お弁当毎日作って嫌にならないのー?」
「なんでそんなに作れるの?」

と聞かれることも多いが、結論から述べると、全く嫌にはならない。
むしろ逆である。
しばらく包丁を握ってないときの方が、ストレスが溜まって精神衛生上よろしくないことになる。

うちのおかんにすら、

「あんたどこ目指してんの」

と言われる。
特にどこも目指していない。強いて言うなら高みである。(どこかで聞いたようなセリフだ)

わたしにとって料理は、最後の調和された姿をイメージしながら異質なものをいくつも組み合わせ、ごちゃっとバラバラだったピースをうまーく当てはめてまとめる、そんな作業なのである。

休みの日には、お弁当用に8品くらいまとめて作っておくが、一つ鍋を火にかけている間に他の下処理をして、それを冷ましている間にさらに他の下処理をする、というようなことをとめどなく行い、2~3時間後にはきれいにまとまった料理たちがずらっと並んでいる。

まさに快感。
料理をすると頭が整理されてすっきりする。

料理はロマン

「どんな "むつかしい" 問題も、一気に解こうとせんと、それぞれの要素 "む・つ・か・し・い" に分解したら各々はそんな "むつかしく" ないんや」
(「むつかしい」は「難しい」の西の方の方言)

高校のとき、推しの数学の先生が言っていたこの言葉。
残念ながら数学においては全くこの境地に至ることなく終わってしまったが、料理に置き換えると手に取るようにわかるから不思議だ。

いったん素因数分解してそれぞれを紐解いてから連立方程式を組み立てて解を導き出すようなあの感じが、料理でなら味わえる。
(ちなみに、バッハのシンフォニアなどを弾いているときの感覚もそんな感じだ)

「数学はロマン」だと言う人がいるならば、料理だってロマンだと言いたい。
桂剥きされた大根のあの極薄の皮。(=関数グラフの曲線美)
切り方1つで味や食感すべてが変わる魔法。(=解き方は1つじゃないおもしろさ)
そして、ゴールのない美味しさの追求。(=答えのない問い)

めちゃくちゃ美しいじゃないか。なんだこれ。
受験では数学に泣いたわたしが、ここにきてこんなふうに数学への親近感を覚えるとはつゆとも想像しなかった。

まとめ

そんなわけだから、私は料理という営みをほぼほぼ87%くらいはただ自分のためにやっているので、旦那含め、とにかく出来上がったものをつべこべ言わず平らげてくれる存在というのは非常にありがたいのだ。
これが、わたしがホームパーティーしたがりな理由でもある。

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