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総持寺さんに紹介された喜びと私が紹介したいエッセイ

★エッセイを紹介された喜び
 
 2年ほど前のことです。私が産経新聞の朝晴れエッセーに投稿し、掲載した記事を家族に紹介するため後日インターネットで検索をかけると、「総持寺 西山浄土宗 梶取本山」という名前が…。
 
 驚いてクリックすると、何とそこには朝晴れエッセーに投稿した記事と、以前エッセイ賞を頂いた私の作品が紹介されているではないですか!

 和歌山県にある総持寺というお寺のお坊さんが、私のエッセイを読んで説法の題材としてくださっていたのです。ほんとうにビックリしました。
 
 そして驚きから一転、私は嬉しくて泣いちゃいました。
 今までエッセイを応募してみるものの、たとえ何とか受賞ができたとしても読んで下さった方の声を聞くことは身内や知人からしか知ることができません(病気のため受賞式も行けなかったため)。
 時々それが不安となり、「読んでくださっている方はいるのかな。感想が聞きたいな…」と思ってしまうこともありました。
 
 それがエッセイを読んだ感想を聞けて、なおかつ尊い説法となっていることに心底感動しました。
 「書いていて良かった…」と、報われた気持ちになったことを覚えています。
 
 
紹介されたホームページ
【法話】自分と妻子は一体だ | 総持寺 西山浄土宗 梶取本山 (soujiji-kandori.com)
 
総持寺さんのX
https://x.com/soujiji_kandori
 
 
★私が紹介したい2つのエッセイ
 
 紹介されて本当に嬉しかったので、私が好きなエッセイも紹介したいと思います。
紹介したいエッセイは2つありますが、読んだときにどちらも「いつか、こういう文章を書いてみたいなあ…」と思った文章です。
 
 1つ目は、産経新聞の朝晴れエッセーに掲載された髙橋純子さんの作品『溝を飛ぶ』です。
 
 私のエッセイの理想は「日常を描く」というものです。
 エッセイを書き続けていくためには、大きな経験や出来事だけではなく、毎日当たり前のように流れている日常をエッセイで表現することが大切になってくると勝手に思っています。
 
 日常を描くのは、読む側からすると「あっさり」読めてしまうのですが、書く側からすると大変難しいと私は感じています(特に長いと)。そのため日常を描いたエッセイで評価されていると、頭が下がる思いになります。
 
 この『溝を飛ぶ』は短編ですが、その典型のような作品でした。
 書かれた高橋さんは75歳(当時)。
 75歳とは思えない文章の軽みやリズムが感じられて脱帽しました。
 600文字と短いので、ぜひ気軽に読んでみてください。
 
【朝晴れエッセー】溝を跳ぶ・9月14日 - 産経ニュース (sankei.com)
 
 
 もう1つは、約束(プロミス)エッセー大賞で2015年大賞だった小玉弘子さんの作品『チョコレートの約束』です。
 
 この賞は、大賞が高額のため非常に応募数が多い難関のエッセイ賞となっています。
 それだけに書かれている方の人生がギュッと詰められた濃密なエッセイがしのぎを削っています。
 
 ただ、この小玉さんの作品はその中でも非常にサラリとしていて軽快さがありました。
当時私はこのエッセイを読んだとき、「この文章、好きだなぁ~」と呟いてしまいました。
 私のエッセイはどうしても病気と関わる作品が多くて重くなりがちになってしまうので、いつかこういうエッセイを書いてみたい!と熱望した記憶があります。
 
過去の受賞作品|第28回 約束(プロミス)エッセー大賞 (promise-essay.com)
 
 
 ただもちろん、好きなエッセイと自分が表現できるエッセイが異なる場合もあります。
 以前Jポップのシンガーソングライターが、「自分はずっとロックが好きで聴いていたけど、自分で書いてみたらこういう音楽(Jポップ)になった」と言っていました。
 だから、私も好きなエッセイと書くエッセイはもしかしたら違うかもしれません。
 
 でも、それでも、やっぱり挑戦してみたいと思う気持ちも強いです。
 いつか日常をサラリと書いたり、ユーモアあふれるエッセイをたくさん書いてみたいなぁ…。
 そう思う今日この頃です。
 
 

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