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あれ、tunnel visionになってない?
「ああ、この人は視野が広い。」と人を評価することがある。
よく考えれば、視野が狭くなるときと広くなるときの両方を備えているのが人。時と場合により、人は変わるもので。でもできれば、視野を広く保てると嬉しい。
さて、大きな災害が世界で起きていると、国ごとの国民性も含め、普段見えないものが見えてくる。特に、視野が狭くなっている人は、短期的な一喜一憂、怒りの感情も含めて、発露がみえる。
そんな中で、ナショナリズムについて少し思いを馳せる。
「日本はいい国だ」という人。
「日本はだめな国だ」という人。
医療レベルの高さで、ほらいい国じゃん。
意図しない政府の行動に、ほら悪い国じゃん。
自分でも、経済的にはほとんどの業界だめだなぁと、数年に渡って決めつけていた。けど、良い悪いを一元的に言うのも、視野が狭かった。
これらのポジショントークにあるのは、いわゆる認知バイアス。特に確証バイアスだろうか。自分の認識を強固にするための情報を集めてしまう人間心理。同じ考えの人を探して、そこに権威があれば担ぎ上げ、正しさを主張してしまう。
正しさ、というのはどうやっても、万人で共通しない。また、個人的には下記のような言葉も考えておきたい。
誰だって、誤りを犯したいと望んで、誤りを犯すわけではない。ただ、晴天の日に、翌日は雨が降るとは考えないだけである。
−マキアヴェッリ「マキアヴェッリ語録」−
誰にでも、そうなってしまう時はある。(関係ないが、マキアヴェッリ語録は政治に関心あるなら面白いかも)
視野が狭い、なんだか本当に他者評価の言葉になるので、もっとJK風のキーワード流行らないものかと思う。英語混ぜるとどうだろう。
「あれ、tunnel visionになってない?」
イマイチだった。訳が正しいかも分からん。narrow使うのかな、わからん。比喩的にトンネルを使う英語、かっちょよいな。
他国の動きと比較して、自分たちを良く思ったり、悪く思ったり、そこに根拠のない評価をしているときは、ちょっとvisionがトンネルになっていると、そう思おう。
根拠があるなら、単純な比較ではなく、こういう結果を作りたいからこうすべき、と論じよう。それが民主主義の醍醐味だもんな。他者が完璧じゃないし、隣の芝生は青く見える。自分で調べ、調査し、「ただあそこは良さそう」というイメージで議論しないのは美しい。
付け加えておくと、ソーシャルメディア疲れがあるのはこういう、視野が狭くなる意見を見続けることにある。これは自分の発言含め、自戒を込めて。
踊れよ