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ブダペスト世界陸上 「命を絶とうと思ったこともあったけど、生きててよかった」 女子走幅跳銀メダルのタラ・デイビス


「ねぇ、ねぇ、メダル見たい?見せてあげよっか」
 表彰式を終えたばかりの女子走幅跳のタラ・デイビス(米国)にばったり出会った。
 ニコニコの笑顔で、クリスマスか誕生日に買ってもらった新しいおもちゃを見せびらかしたい小学生のようだ。
「おおお。見せて見せて」
 そうお願いすると、「ちょっと待ってね」と言いながら鞄をゴソゴソを探り始めた。
「あ、ビデオ撮ってもいいよ。Q出してね」
 タラはYoutubeもしている。指示の出し方がYoutuberっぽい。
「ちょっと待って。準備できたよ」
 そう言うと、くるりと振り向いてメダルを見せてくれた。
 大きなメダルの後ろにはしっかりと彼女の名前が刻まれていた。

 タラは小さい頃からスポーツ万能で、非凡な才能を持つ子供だった。世界ユースでは金、世界ジュニアは銅メダルを獲得し、鳴り物入りでジョージア大学に進学した。
 将来を嘱望されたアスリートだった彼女のキャリアに影が差したのは、大学1年生の時だ。新しい環境での練習が合わなかったのか、背中、腰、膝など相次ぐ怪我に見舞われた。
「もうここにいたくない」 
「環境を変えたい」
 タラはテキサス大学への転入を決めた。
 
 彼女の気持ちが折れたのはこの後だ。
 新しい環境で心機一転頑張ろうと思い、テキサス大学のコーチにお願いし受け入れ先を見つけたものの、古巣のジョージア大学の陸上部ヘッドコーチ(いわゆる監督)がそれに待ったをかけたのだ。転入は認めるが、「陸上部の部員としての活動を一定期間禁ずる」措置を彼女にとった。これはNCAA(全米大学スポーツ協会)がアメフトやバスケットなどで大学同士の不当な引き抜きを防ぐためのルールだが、陸上などでこのルールを適用するケースは非常に稀だ。率直に言うと、大学のエース選手に逃げられた悔しさからの嫌がらせだった。(※この非情な措置は米国の陸上界でも大きく取り上げられ、タラへ同情が集まり、大学側に批判が集まった。のちに監督は解雇になっている)
 
 ごく一般的な指導者なら「うちで怪我が多くて残念だった。新しい環境で頑張ってほしい」と表面的には快く送り出すだろう。たとえ苦々しい思いがあったとしても。しかしジョージア大学の監督は違った。

 その措置にタラは打ちひしがれ、絶望に暮れた。

「もう何もかもうまくいかなくて死にたくなって。もう死んでしまおうと思った」
 どのような方法を取ろうとしたのかは分からない。しかし「もうダメだ」と疲れ切って横たわった時、タラの頬を犬が舐めた。
「犬が心配そうに見てて、『あ、ダメだ。この子のためにも生きないと』っって思ったの。そしたらボーイフレンドや家族や大事な人の顔が浮かんできて、ダメだダメだ。生きなくちゃ、って思い直せた」

 22歳で出場した東京五輪は6位でメダルに届かず、ミックスゾーンでしゃくり上げた。昨年のオレゴン世界陸上は代表もれした。
「ずっと自分らしくパフォーマンスできなかった。ほかの誰かになろうとしていた」
 自分らしく。勝っても負けても笑顔で楽しく。
 そんな気持ちで臨んだブダペスト世界陸上では空が淡いピンクに染まったブダペストのスタジアムで1本目に6m91のビッグジャンプで銀メダルを手にした。
 
 苦しみ、もがいて、たくさん泣いて、歯を食いしばって必死に立ち上がったタラ。
「もう大丈夫」
 そう言いながら、ちょっと涙目だったけれど、それはうれし涙だと思う。
 

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