ルール変更は制限じゃなく挑戦

サムネ画像は一目惚れして、使わせていただいた。フードにマグロ。なんだろう、カッコイイ。


仕事をしていると、まあ仕事以外でも社会で、ルール変更になることがある。理由はさまざま、有無を言わさず「そうなるよ」と言われたら、変更させる権限のないこちらは受け入れるしかない。

私は変化が得意ではないので、ルール変更も苦手だ。でも、どうしようもないから自分に言い聞かせる。「仕方ないよ」と。そして、考える。「変更されたルールでどうしようかな」と。

ルール変更に対して、「面白いものが作れなくなるな」と思ってしまうこともある。ルールが変わるのは、広がるよりも狭まることの方が多くて、言い換えれば制限されてしまう。

だから、文句も言いたくなる。私が今までやってきたことで、それを否定された気分になるからかもしれない。「こんなんじゃ面白いものは作れない」とか、言いたくもなる。


でも、自分でそれは“逃げ”だな、とも思う。“逃げ”というか、自分が結果を出せてないことに対しての“言い訳”かな。

よく、コンプライアンスが厳しくて、ルールが変わって、ドラマとか映画とかテレビとか本とか、表現の幅が狭められていると聞く。「ドラマがつまらなくなる」とか「だからテレビが面白くない」とかも聞く。

情報の受け手としては、それでも面白いドラマや映画やテレビや本はあるって思ってしまう。今の作品より昔の作品の方が総じて素晴らしいなんてことはない。今は今で、今らしい、今だからできる作品もあって、私は好きだ。


って、自分が受け手になると、こんなえらそうなことを言う。だから、そのえらそうなことを、自分にも言い聞かせることにした。

ルールが変わったことを制限と思うな。限られた中で何ができるか、挑戦じゃないか。やってみようじゃないか。成果を出してみようじゃないか。

もちろん、限られた中で何ができるんだ…という不安はある。自分の腕を信じ切れているわけではないし、今までも挫折しそうにはなっているし。でも、やっていくんだったら、やってやる。決意を込めて。

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