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No.576 あなたの「すごい」はわからないけど

17歳の藤井聡太七段が、最年少でタイトルを獲得して、「すんごい!!!」と思っているフリーライターのaoikaraです。

いや、本当にすごい。とはいえ、私には将棋の知識はちょっぴりかじってもない、ないに等しいくらいだから、本当の意味で「すごい」というのはたぶんわかってない。それでも、ちょっぴりだけの知識と、ミーハー心で対局を見て、「すごい」と思ってしまう。

なんだかよくわからないけど、「すごい」ということはわかる、というくらい「すごい」。

でも、なんだかよくわからないことってのは、「すごい」といわれてもちんぷんかんぷんで、全然「すごい」ことがわからないってことが多い。

だから、よくわからないことの中ですごいことだと熱弁されても、正直何もわからないから「ふーん」としか思えないこともある。逆に、私にとってはものすごいことなんだけど、それを全く知らない相手からすると「ふーん」でしかなかったりする。

「すごい」と思うのは、すごくすごいから。つまり、そのすごさの次元がレベチなの。レベチであればあるほど、多くの人に「すごい」と思われる。知らないことでも「すごい」と思わせる。それは本当にすごくすごいから。

でも、そもそも「すごい」と感じられるのは、知識があるからこそという前提もある。全く知らないことはすごさがわかる知識もない。頭が良いとか悪いとかではなくて、その分野に関する知識があるかないかということ。

知識ってのは「知りたい」と思いたいから増えていく。自分が好きなことや、興味があること、好奇心を持つことに対しては知識が積み重なっていく。チリツモ。

どの知識を増やすのかというのは、その人自身の選択で、ものすごく大きな価値観でもある。「これが好き」「これに興味がある」って知りたくなって、知ろうとするわけだから。

その知識をベースに、やっと「すごさ」がわかって、「すごい」と思えるようになる。だから、人それぞれ「すごい」と思えることには、その人の価値観がものすごく表れているんだなぁ、という今日の気づき。

私も全くわからなかった将棋を少し教えてもらって、ほんのちょっぴり知識があるから、たぶん本当に全く知らないよりは「すごい」の本質にちょっとだけ近づけてる。それがなかったらもっとわからなかった、でもまだまだわからない側なんだけど。

と、勝手に「でもちょっとわかるぞ」みたいな喜びを感じてる。「すごい」をかみしめられる喜びを。

無理に知ろうとしなくてはいいけど、ちょっと知ってみるだけでも、誰かに「すごい」を少し理解できるようにはなるのかも。

2020年7月17日(金)

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