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私の家

学校に通うために、一人暮らしの部屋を借りることになったのは、もう何年も前。実家から飛行機とバスと電車を乗り継いで、やっとたどり着く場所だった。

インターネットで探した物件の候補を電話で問い合わせて、現地の不動産屋さんと相談をしたのも初めての体験。そのときは未成年だったので母にもついてきてもらって、内見をしたのも初めての体験。

とても良い物件だったのに、なぜか1件空いていた。事故があったわけでもなく、部屋番号によって不人気の部屋もあるらしいと聞いた。私は全く気にならなかったので、その部屋に決めた。

部屋を借りると決めてから、どんな家具を置こうか、どんな配置にしようか、きっと100パターンは考えた。嘘、盛った。たぶん99パターンくらいだね。

初めての一人暮らしで、わくわくが止まらなかった。生活する自分を想像して、理想に近づけるように、一つ一つ計画していった。


引っ越しの日、初めて見た部屋はがらんとしてた。何もないけれど、まぶしく見えた。まだカーテンもなく、日差しが入ってきたせいか。子供のように自分の影で遊ぶほど、わくわくしていた。

引っ越しも母に協力してもらい、それでも一人きりになるわけだから、一人きりで全てをこなした。私以外誰もいない部屋で、しんとしたところで、段ボールをびりびりに破いていた。

別に寂しくなってよくわからない行動に出たわけじゃない。その地域と物件の規定で段ボールは資源ゴミでは捨てられないらしく、燃えるゴミとして捨てるためにびりびりに破いていたのだった。


初めてその部屋に鍵をかけたとき、とても新鮮な気持ちだった。私だけの家。今日からここが私の家。まだまだ「私の家」という感覚がなかった。

「私の家」と感じるのは、ずっと育ってきた実家だけ。一人暮らしを始める前にも、家を出て寮のようなところに住んでいたことはあった。

それでも実家で暮らしている時間が圧倒的に長くて、私の家はたった一つ。これから暮らす部屋が、帰ってくる場所で、「私の家」になるというのがとても不思議な感覚だった。


部屋はどんどん私らしくなっていった。私が選んだ家具を置いて、私が使いやすいように配置して、掃除して、洗濯して、料理して。ちゃんと“生活”して“暮らし”ていた。

がらんとした部屋が家になり、空間になる。居場所になる。それでも私は、鍵をかける瞬間の新鮮な気持ちが抜けきることはなかった。全然、当たり前に感じなかった。


いろいろあって学校を辞めることになってしまって、もちろん家も引き渡して実家に戻ることになった。6割は自分で片付けたけど、またも母がやってきて、だらしない私の分まできちんと片付けてくれた。

荷物が運び出されて、がらんとなった部屋は、一番最初に見たときと同じ。でも、気持ちは違う。電球がないから暗くなってて、影はできない。そのとき、最初から家具がないこの状態の部屋に住んでいる感覚だったのかな、と思った。

私の物を置いているのに、ちっとも私は部屋になじんでなかった。きっと身の丈以上のものを求めていたから。私がなじんでいなかった。最初からやっぱりここは私の家ではなくて、家から遠く離れた部屋。

電車に乗って、バスに乗って、飛行機に乗って、帰ってきた実家でやっと「私の家だ」と感じた。


だからって、あの部屋のことを思い出したくないわけじゃない。楽しい思い出もたくさんある。

毎日きちんと家事をした。決まり事みたいにして、きちんとこなすのは楽しかった。おかげで信じられないほど家がきれいだった。

自分のために弁当を作った。朝ご飯のおかずを入れたり、卵焼きに挑戦したり、彩りを考えたり。

当時の恋人のためにパンを焼いた。まあ、デートの日がどしゃぶりで中止になって、結局パンもあげられずに自分が食べたのだけれど。

自分の育った場所とは違うテレビ番組が放送されていて、文化の違いが面白くて、方言が移ったりもした。

隣の部屋でケンカをするカップルに心底イライラした。壁ドンしようかと思ったけど、気の小さい私は「うーわー!」ってちょっと大きな声(っていってもたいしたことない)出したけど、全然ケンカは収まらなかった。

結局、誰も家にあげなかった。恋人や友達の家にはあがっていたのにね。私は家にあげなかった。母と不動産屋さん以外は。自分のテリトリーに入ってこられるのが嫌な年頃だった。


“自分の”って思っていたってことは、少しは「私の家」と思っていたのかもしれない。苦い思い出だけれど、決して苦しいわけじゃないよ。私にとって特別な部屋で、特別な時間で、ほんのちょっぴり「初めての私だけの家」だった。

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