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劇的でなくても、少しずつでも着実に前進したい

noteを始めてから今日で478日目。ほぼ毎日書き続けている。

noteを書き始めるときに掲げた目標はただ一つ、

「量や質を問わず、ただ毎日書く」

これだけ。私は“書く”ことを生業にしていて、書くことにもTPOがあって、書くのにふさわしい場所orふさわしくない場所があると感じる。違う媒体だったら読む人も変わるし、内容や文体も変わる。もっと広い視野を持って書き分けられるようになりたいな、と常に発展途上だと自分に感じている。

仕事で書く文章では、“私だから”という視点や思いはあるけど、100%じゃない。“私だから”という思いが100%のった、プライベートの文章も書きたくなってしまう。私にとっての自己顕示欲が文章なのだと思う。

だからこそ、私はブログやTwitterをしている。とはいえ、プライベートな思いを書く場所だとしても、やはりTPOがあるし、書く内容には場所に合わせて気を遣っている。

ブログは読み物として成立させるためにまとまりを持たせようとするし、Twitterはオープンな場だからなるべくポジティブなことを書きたいと思っている。

でも、まとまりのないだらだらとした思いだって抱くし、ネガティブなことだってたくさん考える。自分の中で処理できれば良いけれど、吐き出したい、発散したいという思いもある。

noteはそんな思いを出す場所になった。私のnoteのプロフィール欄には「 noteは好き勝手なこと書く。」と書いてある。全くその通り。そのとき思ったことを、思ったままに書いている。

noteの性質として、Twitterよりも開かれていない場所で、限られた人が見ていて、誰かが偶然思いを拾ってくれる。誰か一人でも私も思いが目にとまれば、私のやりきれなかった思いがふっと軽くなってくれる。そんな場所だと思う。

自分にとって、考えて考えて文章として思いを書くのは大事なことのようで、今はnoteが一日のルーティーンの中に組み込まれている。一日の中で「noteを読む」「noteを書く」時間が組み込まれている。(休日は除く)


もう一つ、noteを続けている理由は、変化の楽しさ。noteは日々ちょっとした変化がある。使い心地が、少しずつ良くなっていく。

「スキ」という気持ちでハートを送ると、自分でリアクションをカスタマイズできるし、最近はgifや画像を付けられるようになった。私は画像を付けてないけど、誰かのnoteで見かけるとうれしくなる。

通知も20とか30とか来てたのが、まとまって来るようになったから見やすくなった。チェックしやすい。

技術としてはものすごい進化なのかもしれないし、携わっている方々には感謝と尊敬の気持ちが止まない。使う側としては「あ、ちょっと使いやすくなったな」というほんの少しの心地よさがある。

でも、これって大事。人は劇的な変化を進化と捉えるけど、劇的というのは副作用も大きい。わかりやすいけど、大変さも一緒にやってくる。

少しずつでも着実に前進する方が、知らず知らずのうちに進化を遂げていて、常に最新が最高の状態になっているから。noteにはそんな小さな変化がある。それも楽しい。そして、そんな堅実さのようなものを持っているnoteを信頼している。

「私もこんな風になりたいな」と思う。劇的に進化を遂げられなくても、少しずつ少しずつ変化して、着実に前進していく人になりたい。

たぶん現状も同じで、私たちは劇的に良くなる特効薬を求めているけれど、結局それは難しい。目の前にあることを、少しずつ少しずつ、着実にやっていくことで、きっと前進していく。そう、信じたい。


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