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ぜんぶ夏のせい、ではない

ぜんぶ夏のせいだ、と言いたくなるくらい暑い。暑いと何もかもの力が奪われる。体力とか、思考力とか。他責になってしまいそうな「環境が悪いから」も、今なら言えそうなくらいに暑い。

久しぶりにnoteを書いた。何度か、書こうと思っていたり、そもそも書くつもりがなかったりした。今日は書こうと思っていた。前に書こうと思っていたときと同じように、何を書けばいいのかわからなくなっていた。

前も、書かなくなると、書けなくなる、ということを書いていたけど、久しぶりにnoteを書こうとするたびに実感する。仕事では毎日“書いている”はずなのに、自分のこととなると頭の中が白紙になったように、何を書いていいのかさっぱりわからなくなってしまう。

これはnoteだけでなくて、プライベートにおける文章全てにいえることで、思考を言葉にすること、アウトプットが今ものすごく苦手になっている。返さなきゃという言葉も、文章にしようと思うと億劫で、できなくなっている。

そもそも、自分が思っていることを伝える、ということを避けている気がする。それは良い作用もある。しんどいことを自分の記憶から取り出して、繰り返して思い出すようなこともなく、良い意味で“流す”ことができるようになっている。でも、しんどいことだけではなく、いろんな感情に対して、流してしまっているように感じる。

昔のnoteを読むと、しんどいなということをたくさん書いている。書いて乗り越えてきたんだろうな、とも感じる。noteだけではなくて、誰かに見られるわけでもないノートにも、よく書いていた。

最近は、本当にしていない。自分の中で考えたことを、自分の外に出すことを、していない。noteを書こうとして真っ白な頭になるたびに、何か言いたいことがあるはずなのに言えないような気がして、もやんとした気持ちが湧いてくる。

きっと暑さのせいもあるだろう、と言い訳したくて、サーキュレーターで風を自分へと送って、体も少し冷ませたはずだけど、結局は現状だけしか書けていない。悩み、なんだろうか。でも、もっと書きたいとは思っている。

私は私の生き方として、やっぱり書きたい。

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