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卒業は一日にして成らず

“卒業”と聞いて思い出されるのは、卒業式の風景。中学校の卒業式、私は一番後ろに座っていて、真後ろに知っている後輩がいたことを覚えている。なぜそんなことを覚えているかというと、彼女が在校生での合唱をしながらぽろぽろと涙を流していて、私ももらい泣きしてしまったから。私まで涙が止まらなくなって、涙声になりながら卒業生の合唱をした。

部活動ごとに集まって部員たちで涙して、後輩たちも涙してくれていたなとか。北海道は雪解けが始まりながらときに大雪が降ることもあって、外で胴上げをして雪に埋もれている男子の先輩たちがいたなとか。制服のボタンとか小物とかたくさんもらったなとか。卒業式だからこその、特別な思い出が私の中にある。

卒業式だけじゃなくて、卒業の準備も記憶に残っている。小学校のときは、在校生と卒業生の「お別れの言葉」の応酬があって、卒業式まで毎日のように練習を続ける。それが6年間も繰り返されるものだから、6年生になると児童のセリフはそらで言えるくらい覚えていたな。

卒業式の練習で、列をそろえて歩くとか、姿勢を良くして座るとか、やったなぁ。男子は足を開いて手をグーにして太ももにのせるんだけど、女子は足を閉じて両手は重ねて置いてた。内転筋がないから太もも閉じるのに疲れて、「なんで女子は足開いちゃダメなんだよ」とか思ってたな。

卒業アルバムができて、「写真写り最悪」とか「このときと髪型全然違うじゃん!」とか「私見切れてるんだけど」とか楽しみながら笑ってた。私は、友達にくすぐられて首が折れているのかってほど顔を傾けて大爆笑している姿が写ってて、ものすごく恥ずかしかった。今見ると良い写真だと思うけど、やっぱり恥ずかしい。

卒業アルバムにメッセージも書いてもらったな。友達にも後輩にも先生にも。私はなんだかありきたりなことを書いてもらうのがつまらなくて、「ここでしか言えない本音を書いてよ」と言って渡した。仲の良い友達にも、たまにしか話したことはないけど行事で協力した同級生にも、先生にも。意外なメッセージをもらったりして、特別感があって楽しかった。つらいときにもらったメッセージで自分を励まして、今日まで生き延びてこれたなって思っている大切な言葉もある。

卒業は特別なことだけど、日常にも溶け込んでいる不思議な日々だった。今思うと、卒業するからこそ体感できるかけがえのない日常だったんだろう。思い出すだけで、ちょっと涙が出そうになるのは、きっと私の心の大事な部分に触れているからだ。

“卒業式”はたった一日のことだけど、“卒業”ってのは学生時代すべてを通してようやく終わりを迎えることができる特別な時間なんだと思う。一日一日を積み重ねてきて、見えてきたゴールだから。

小学生なら6年間、12年の人生の半分もの思い出がある。中学生なら3年間、15年過ごしてきた人生の5分の1もの思い出がある。大人が考えているよりずっと長くて重い、大切な大切な時間を費やしてやっと卒業を迎えられる。

今の日本を遅うウイルスのせいで、卒業式がなくなるかもしれない。そうなるかもしれないと知ったときは、「とても悲しいことだけど、命にはかえられないから残念だけど仕方ない」と思った。でも、それは私が大人だから言えることなんだろうな。

私の言い分は間違いじゃない。でも、自分の卒業の思い出にこんな特別な気持ちがあったんだと気づいた後に、同じことは言えないよね。つらいよ。悲しいよ。仕方ないって理解できないほど子供じゃないから、理解できるからこそつらいよ。

いつか事態が収束したら、そのときに卒業式だけでもできたら良いかもしれない。今年の卒業が、今は“悲しい思い出”になってしまいそうだけど、良い方向に進んで“特別な思い出”になってほしい。思い出して希望と切なさで涙してしまいそうになるような、そんな春がみんなに来ますように。

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