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電車のひとびと

電車に乗って移動している、フリーライターのaoikaraです。

電車にはいろんな人がいる。朝早い時間に乗ると、学生さんたちが多い。この前は私の両隣に座ったのが同じ高校の学生で、どうやらその日はテストがあるらしく、テスト勉強に勤しんでいた。若い人にとって必需品であろうスマホ、ではなく、本や単語帳など“紙”で勉強をしていて、そこはまだアラサーの私と同じなんだなと、時代の変わらなさも感じた。

オセロだったら私もテスト勉強をする高校生になるな、などくだらないことを思っていた。


またこの前は、隣に乗った人が海外からの旅行客だった。おそらくアジア圏の人だろう。持ち物には韓国語っぽい文字がちらりと見えた。切符をまじまじと見つめていたところから、くるっと顔の向きを変えて私の方を見て、にっこりと笑って、めちゃくちゃ英語で話しかけてくる。マジでなんも聞き取れない。

唯一、駅名だけ聞き取れた。日本語だからね。切符に書いてあるのと同じ駅名だった。電車が発車する前だったから、この電車がその駅に向かうのかを尋ねているのだろうと理解した。

私は「イエス」でも「ノー」でもなく、なぜか「あ~」と言いながらうなずいて、どうやら「イエス」だと伝わったようだった。申し訳ない。日本語で「イエス」は「あ~」ではないのに、間違って伝わってしまったかもしれない。

私の方が先に降りることになり、奥側の席だった私が降りる準備をすると、隣の旅行客は席を立って、私が降りやすいようにしてくれた。またにっこりと笑うと「Thank you.」と言う。私はよけてもらったので「カムサハムニダ」と韓国語でお礼を言おうか一瞬迷いながらも、「センキュ~」と言いながら降りた。こういう機転の利かなさがあるよな、と勝手に反省をした。


またこの前は、寄りかかってくる人に出くわした。たまにある。めちゃくちゃ寄りかかってくる人。心を許していない人との接触は好ましくない私としては、本当にしんどい気持ちになる。どんな人だろうと、寄りかかってくる相手には「体幹を鍛えろよ!」と思っている。

ついに、初めて、両隣が私に寄りかかってくる事態に出くわした。おいおいおい、マジか、と思ったし、私はめちゃくちゃ困惑の表情を浮かべていた。人生でこんなに両方の二の腕を一度に圧迫されたことはない。

特に右側の人なんかは、首の付け根が私の肩に当たっていて、顔はもはや私の顔の前にある。右を振り向くと、私の右隣の人の右隣の人の姿がハッキリ見えるくらい、私にもたれかかっている。これはもう友達とか恋人でしかない体重のかけかたと距離感だぞと突っ込みたくなる。

ぐいとはねのける腕っぷしもないし、触れるのはハラスメントに当たるかも知れないし、耐えるしかない。しかも両方から。

両隣からもたれかかられていて困惑している私の表情を見て、向かいに座っている人が「なんか面白いもんを見た」くらいに楽しんでほしいなとすら思った。エンターテインメントとして消費してくれなきゃやってられない。

翌日まで肩がガチガチに凝ってしまった。


そんなこんなでよく電車に乗っているよという話。でかけていないよりはいいのかもしれないね。また、どんな人がいるのかしら。もたれかかるのだけはやめて。

2023年10月1日(日)

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