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覚えるための勉強は嫌いだった。

もうすぐ年度替わりで新入学、新学年の時期が近づいてきたので自分のことを振り返ると、学校の勉強はあんまり好きじゃなかった。
公式とか覚えられないし展開図とかイメージできないから数学は嫌いだった。父親が小学校教師で理科専門だけど自分は全く縁遠かった。社会なんて暗記力勝負だからもってのほか。英語は洋楽好きだからとっつきやすいかと思ったけど文法で撃沈した。

でも国語(古文と漢文は覚える技術を求めるから外国語扱い)は何も覚えなくてもいいから嫌いじゃなかった。活字を追うのが好きだったから漢字は意識しなくても頭に入ってた。ただ、問題で「作者の言いたいことは何か?」って出てくると求める答えはわかるけど、「作者の考えてることなんて本人以外わかるはずないじゃん!」とか「本当は何も考えてなかったかも知れないじゃん!」って良く思ってた。

数学は全く不得意だったけど病弱な母親の側に居て欲しいとの願いを受け入れて地元で探すと他に選択肢がなくて銀行に就職した。数学の出来不出来なんて全く関係なかった。銀行では自分たちの年代は体育会系の人材が、その後の年代はパソコン能力の高い人材が重宝された。自分たちの年代は体力勝負、その後の年代は効率重視だったから。

「日本の(大部分の学校の)教育システムは暗記力と忍耐力の訓練だ」って藻谷浩介さんが書いてた。本当に何十年経っても受験偏重のスタイルは自分たちの頃とほとんど何も変わってない。北欧のような自主性重視の教育が理想だが、そのような高い理想を掲げる前に、(部活やイジメやモンスターペアレントなど困難な課題が満載で大変なのはよくわかるけど)中学高校での授業を如何に生徒にとって魅力的なものにできるかを真剣に考えて取り組んでくれる先生がひとりでも増えて欲しいなぁと願ってる。

#学校教育

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