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自己紹介(22→33)

前回の続きです。

酒だけは強く、負けず嫌いだったので、とにかく、大人たちに食らいつく日々を送っているうちに、いろんな会議やプロジェクトに参加させてもらえるようになってきました。

最初に担当したのは秋田と岩手。そこで、運命的な出会いがあって、秋田に少しの間、住んだこともありました。それから徐々に、担当地域を増やしていき、新潟や群馬、故郷の富山、福岡や鹿児島のプロジェクトに関わってきました。「まちの駅」という草の根運動の事務局をしていたので、北海道から九州まで様々な地域にも調査や講演でお邪魔してきました。

社会人5年目を過ぎるとかなりやりがいも出てきます。平日の週の半分は、調査や打合せのために地方で過ごすか移動の日々。コンサルティング業務の他にも自分がやらないと回らないWeb更新作業やデザイン制作があり、それは休日や大型連休でなんとかしていました。盆暮れ正月に実家に帰るなどという親孝行マインドも郷土愛も一切なく、みんなが休んでいるときにようやく自分の仕事ができる!くらいに思っていました。

気づけば、平日は地方、休日は東京の事務所でもくもくと作業。地方と都会を行き来するバランスはけっこう好きでしたが、だんだんと移動の時間がもどかしくなってきました。でも、移動は嫌いではありません。目の前の風景を見ているといろんなインスピレーションがわきますし、何よりたくさん読書ができます。1日平均で1~2冊は読んでいたと思います。(富山に来てからは1週間にせいぜい1~2冊になっちゃったけど)

そんな生活を送りながら、だんだんと「地方のほうが、やりたいことを思いっきりできそう」という思いが強まってきて、本当にそろそろ地方に拠点を移したいなと思いだしたのは、30歳を過ぎたころからでした。都会に憧れて地方から出てきたのに、いつの間にか、地方に憧れながら東京で暮らしている自分に気づきました。

30代前半は、仕事で栃木県によく通っていたし、付き合っていた彼(今の夫)は新潟県のプロジェクトを多く手掛けていました。富山県は私の故郷ではあるけれど、現在進行形のネットワークのある前述の地域のほうが住みやすいんじゃないだろうか。・・・どの地方がいいかは、ある程度材料を揃えて考えよう。ということで、いろんな自治体のホームページをよく見ていました。

そんなときに、会社の先輩が福岡県に引っ越し、面白い活動を始めたというので、手伝いがてら遊びに行きました。のどかな港町を散策しながら、未来のまちづくりを考えるというワークショップ合宿でした。仕事で訪れていないということも大きかったと思うのですが、そのまちのゆるい雰囲気が私の中の何かを刺激して、もやもやと形になりそうでならなかった移住の決意が固まりました。

10年以上のブランクがあるけれど、何か、富山でいい気がする。

まぁ実家もあるし何かと便利そう。
彼の仕事場である新潟県もお隣だしね!(しかし、新潟は広大なので、接していても近いとは限らないと、後で身をもって知ることになるのだけど)

そんなわけで、富山のどこに住むかを検討することになり、富山県内全15市町村の代表メールに問い合わせをしました。うち12(だったと思う)自治体からパンフレットが詰まった分厚い封筒が届き、当時両国にあった彼の家のポストが、いつもぎゅうぎゅうだったのを思い出します。

この頃はまだ、観光客と移住希望者と住民の区別がついている自治体がほとんどありませんでした。「毎日の暮らし」をイメージしたい人に、年に一度しかない自慢のお祭りや、そう頻繁には訪れないであろう場所のパンフレットを送ってくださる。まぁでも、自治体の意欲は伝わってきたし、「とにかく歓迎はされそうだ」というのが分かっただけでも、一歩前進でした。(続きはまたの機会に)

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