人生で一番長く好きなアーティストの結婚相手を知ってしまった

人生で一番長く好きなアーティストの結婚相手を知ってしまった。
私は子供のころからBUMPが大好きで、何かのファンになる、というのを初めて経験したのもBUMPだった。CDを買うのは勿論、雑誌もほとんど買っていた。私の中学高校時代はBUMP一色と言っても過言ではない。人生初のライブハウスのライブは、同じくBUMPファンの母と行ったツアーで、そこから前回のドーム・ライブハウスツアーに至るまで毎回ライブに行き、もう人生の半分以上BUMPのファンをしている。
中学生時代好きだった人から昔のBUMPのCDを借りたり貸したり、高校時代は同じBUMPファンの男の子が留学した時、BUMPの楽曲にちなんで、留学先から青い便せんと封筒で手紙をもらったりし、大学時代付き合った男性は歌がうまくてカラオケでBUMPの歌を歌ってくれた。私の人生にはBUMPとBUMPの音楽は不可欠で、いろんな楽曲にその時々の思い出がある。社会人になっても、仕事でしんどい時や、安心したい時はBUMPの楽曲を聴いていた。

そんなBUMPのボーカルの藤君が結婚した。余談だが、コロナ年とも言える2020年に、藤君を含めた好きなアーティスト三人が結婚した。あれ四人……?コロナ婚……(?)藤君も妙齢で、憧れの初恋の人が結婚した寂しさはあるものの、素直におめでとうと思えた。結婚し、もしかしたら子供ができて、アーティストにとってそういう経験は、良き音楽を作る糧になるだろうから、今後のBUMPの楽曲がさらに楽しみになった。

好きなアーティストの結婚はめでたい。〇〇ロスという言葉があるが、BUMPロス、藤君ロスという気持ちにはならなかった。楽曲を作成するのは孤独な作業だと聞いていたので、それを支える伴侶がいるのは大切なことだと思う。それは十分わかったうえで、ファンとしてわがままを言うとしたら、アーティストの結婚相手を知りたくない。俳優やアイドルのファンとしてもそう思うかもしれないが、アーティストの場合、その人のファンであると同時に、そのアーティストの楽曲のファンなのだ。誰と結婚しても、その楽曲の価値は変わらない。でも、例えばラブソングで、その相手を想像できてしまうと、それはもう大衆のための普遍的な音楽ではなく、特定の相手を描けるラブレターになってしまう気がするのだ。それが嫌だったので、藤君が結婚した時、お相手が一般女性であることに、ほっとした。結婚はめでたい。そして、私も相手を想像せずに済み、こらからも変わらず楽曲と私の世界を大切にできると思った。

それが、一年越しに結婚相手を知ってしまった。その記事には「新世界」という楽曲のタイトルまで使用されている。お相手に対して良い悪いという感情はないし、他人の結婚相手に意見をするつもりもない。でも、楽曲のタイトルをその記事に使用されてしまうと、その楽曲をもうフラットな気持ちで聞けなくなってしまう。実際にそういう意図で制作されていなかったとしても、この楽曲はお相手へのラブソングなのか……?という疑問がよぎってしまうと、以前のようにフラットな気持ちで楽曲を聴けなくなってしまう。私が女性で、藤君に対してずっと憧れの存在という気持ちがあるから、そう思ってしまうだけかもしれない。ただの心の狭いファンなだけなのかもしれない。それでも、このしんどさは初めて味わうもので、どうにも消化できる気がせず、こうして文章にしてみた。

本当にお相手に対して何か意見を言うつもりも、結婚に対して意見を言うつもりも全くない。ただ、音楽を楽しむうえで、アーティストのプライベートはあまり知りたくないものなのだということ実感した。それを売りにして、過去の恋人からインスピレーションを受けました、というような楽曲も多くあるし、BUMPの楽曲でもそう言われている楽曲もある。でも、私の知りえない相手に対して作られた楽曲については何の情報もなく、楽曲そのものと向き合うことができるが、その相手を想像できてしまうと、楽曲+αの情報が脳に浮かんでしまう。アーティストはプライベートを隠せ!と強要したいわけではない。ただ、単純に知りたくなかった、というだけなのだ。

今回の記事について、ツイッターでBUMPファンのフォロワーが話していたり、お相手のファンのフォロワーのツイートを見て知ったが、それで知ることにならなくても、ヤフーを開けばトップニュースになっていたし、私の母も大のファンであるから、連絡が来るだろうし、友人もみんな私が大ファンであることを知っているので、いずれ誰かから聞くことになっただろうと思う。何かを知ることよりも、何かを知らないままでいることがこんなにも難しいことだとは思わなかった。

私のようなファンや、楽曲のイメージに考慮して、藤君は結婚相手を公表しなかったのだろうから、ご本人も不本意であるのだろうと思うと、さらに悲しい気持ちになる。一度知ったことを、知らない状態に戻すことはできない。私はもう「新世界」を以前の気持ちで聞くことは出来ないのだと思うと、自分の心の狭さや未熟さを実感し、不要に落ち込んでしまう。
好きなアーティスト、俳優、アイドルの結婚に対して、喜べるのは良きファンだと思う。しかし、アーティスト本人だけではなく、その人が生み出す作品とどう向き合ってきたかは個々の自由だ。多くを知りえない相手が生んだ作品だからこそ、受け取ることのできる感動もある。その知らなかった部分をこうして知ってしまい、それに影響を受ける自分の未熟さも知りたくはなかったし、知る必要もなかったことだと思う。

こういった記事は、本当にアーティストにとっても、ファンにとっても、いいことはひとつもない。本人が発表する必要ないと思ったことは、やっぱりファンにとっても必要のない情報なのだと思う。それを知ってしまったファンである私は、今後どういう気持ちで、楽曲を聴くのかはまだわからない。少なくとも、ファンでなくなることはないし、ライブに行きたくなくなることもない。ただ、「新世界」を聴くと、以前なら、きた~~~~!!!!とはしゃいでいたところ、うう……っと心臓を押さえるようになるかもしれない。未熟なファンから、そうではないファンになれるのかも、なりたいのかもわからないが、この世には知らなくていいこと、知るべきではないことがあるのだということをよく理解できた。

星野源さんのファンの方はどんな気持ちだったのか気になる……。国民が祝福している中、祝福できない自分や、自分の中のイメージが損なわれてしまうことに苦しむファンもいたのかなと勝手に想像してしまう。BUMPのファンも、それぞれの受け取り方があっていいと思う。祝福の強要、複雑な感情を持つ人間に対してガチ恋だのなんだの言うのは言語道断。そういう話ではない人間もきっと大勢いる。なんとも言えないしんどさがあるので、そっとしておいて欲しい。音楽との向き合い方は千差万別。
しかし、綾波レイの次が、某氏さんになるかもしれないなんてこの世はびっくり箱だ……。これからも楽曲とライブを楽しみにしてます……。新木場ライブコーストがなくなる前に行けて良かった……。東京ドームでの「新世界」も、新木場ライブコーストでの「新世界」も最高だった……。ありがとう大好きだよ「新世界」。


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