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【ノテさんの検閲問題】に始まり、「褒めるとは」に至るまで。

薄々気付いてました。某氏の記事などが、検索しても上がってこないな~って。

褒める交流を育てたいというノテさんの信条、素晴らしいとは思いますが、褒めるもけなすも受け取り手の自由なのです。肝心の記事を検索から除外、もしくは隠したりするのは、侵害です。ツイッターやYouTubeがやってらっしゃることと一緒です。そんなのプラットフォーム提供している側のカラスの勝手でしょ、と言われると何も言えませんが。。。


また蛇足的に付け加えると、褒める人というのは、けなす力も十二分に持ち合せている人のことです (ふりこの原理)。

いわんや、「褒める」も「けなす」も、人のさがのほんの一部の機能に過ぎません。

どちらも (ほめる力もけなす力も)、ただの「力」です。権力の「りょく」と同類です。

ちなみにもう少し蛇足すると、「愛」というのは「エネルギー」です。「愛の力」と良く言葉のあやとして言いがちですが、愛は、見掛け上働いてはおらず、常にエネルギーとして任意の場所に内在されています。それがあるとき、もしくはある条件下で流動する。

「褒める」と「けなす」は、顕在したただの "パワー"です。それは「情」の部分とは深く絡んでいますが、「愛」を知る手立てとしては弱いのです。ただ、「褒められる」ことは一時的な快楽を生みますので、昔スピ界隈で流行った ”褒め道”というと、一見いいことをしているように聞こえがちです。褒めるということと、けなすということとは、脳内に一時的な快楽物質もしくは不快物質を発動させる点において、対して変わらないというのが私の認識です。


だいぶ話がそれましたが、、検閲に関しては残念な気持ちが多少なりともあります。ノテさんのシンプルな(ちょっとangularのSPAで気取り過ぎ感はある)ところが好みではあったので。去年の今頃かな?意気込んで開設したこのサイトではあったので。


以前からもそうでしたが、自由度の高い書き込みは、今後もアメブロさんのほうでやっていきます。

ノテさんでは引き続き、朗読の紹介や小説のアップでは現状お世話になる次第です。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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