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She's Rainbow

ここ最近見た映画が、〝毒親問題〟について取り扱っている作品ばかりで、何故かそれに感情が引っ張られてしまい自分の過去と向き合わざるを得ない。そういえば過日みた「ベルファスト」も、ケネスブラナーの自伝的作品だった。いつかきちんと感想を書きたいと思っている。

私は「生活」が苦手だ。
日常にある、ありふれた幸せ。誰かと恋をして、家族になって、仕事を頑張って、キャラ弁作って、化粧も頑張って。ママ友作って。モールで買い物して、週末にはファミレス行って。
それが、想像できない。

できている人を尊敬するし、揶揄するつもりもない。ただ、自分ができないというだけだ。

複雑な家庭環境に育ったわけでもなく虐待されているわけでもないが、精神的な支配をする情緒不安定ぎみな母と、ノンデリカシーな父によってプライバシーが守られない環境だったことから、音楽と漫画と本に現実逃避していた。

小さい頃、「女のくせに」と言われて育った。女のくせに、片付けしない、女のくせに母の手伝いをしない。女のくせに裁縫が苦手。女のくせに、可愛げがない。がさつ。でかい。兄は何も言われないのに。

幼い私は「女」になろうとした。片付けは相変わらず苦手だったし、料理を手伝う時に貶されるのが嫌だったので、ひたすら母の愚痴を聞いた。プレゼントもした。母は「女の子は一人産んどくものね」と笑った。彼女にとっては冗談だった、私も笑っていた。けれど今となっては見えない傷になっている。

そういった意味で10年も通った女子校は居心地が良かった。何しろ全員女だったから。「女のくせに」という人間が誰もいなかった。体育が得意な子、ギャルのオタク、ジャニオタ、アニオタ、洋楽オタク。どんな子もいた。料理がべらぼうに上手な子もいたし、バリバリと数式を解く子もいた。

社会人になって、続々と周囲が続々と結婚し、社会におけるステップアップを果たし始めた頃、私も焦った。

あらゆる方法を試した。合コン、街コン、マッチングアプリ。

スカートは嫌いじゃない。パステルカラーも。甘いものも好きだ。
けれど。ダメだった。続かない。ホスピタリティがない。他愛のない話を初めて聞くふりをすることが苦手だった。すごいですね、と言えるけれどそこから深い話はできない。急なスキンシップに耐えられない。本人にも言えず、音信不通にしてしまったこともある。

意識しすぎじゃない?と言われた。
意識してないと社会的な「女性」を保てない。
かといって「男性」と対等に働く体力も気力もない。
女として、みられたいのか。人間としてみてほしいのか。

友達に、悩んでいることを話した。自然と涙が出てきた。友人は静かに聞いてくれていた。

昨今、性の多様性という言葉が出てきた。
セクシュアリティという言葉に触れた。
スマホで診断をしてみると、デミセクシャルや、リスロマンティックというのが出てきた。たまにサピオセクシャルというのも出てきた。私が救われたのは、何よりセクシュアリティはグラデーションという言葉だった。
私は積極的に開示していないけれど、心のお守りとして、セクシュアリティを持っている。

パステルカラーも、モノクロも、スカートもパンツスタイルも好きだ。
甘いものも、ロックも、テクノも、アメコミ映画も、少年漫画も。
それらが好きな自分も好きだ。
人間と関係性を築き上げることに時間がかかる、そんな自分でも好きだ。

安心よ、こんにちは。
違和感よ、さようなら。

思わずサガンをもじってしまったが。

不器用な自分でも、苦手でも、一日の生活を大事にしていきたい。結局呪いを解くのは自分自身なのだ。







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