見出し画像

なんだなんだ病

一年ちょっと前から、文章を書く機会が少し増えました。
自分の頭の中から言葉をひねり出すことが多くなって、言葉に対して考えることも増えました。
それによって、疑問が生まれてはまた違う疑問へ発展し、今も疑問の軸が変わり続けています。
最初の疑問が生まれたきっかけは、私の中から出てくる言葉に対して常にどこか納得がいかなかったことです。

『悲しい』も『嬉しい』も『楽しい』も普段使っている言葉なのに、それらにピッタリと当てはまるような気持ちが自分では分からない。
これは自分がまだまだ世界を知らないからで、もっとたくさんの物事を見たり聞いたりすればそれまで感じなかった何かを自分の中に見つけることができて、それの積み重ねで『悲しい』などの正しい感情を知ることができるんだ!

今思えばツッコミどころ満載です。
次にどう発展したかを説明します。

そもそも感情というのは十人十色。
人によって違うので、『悲しい』という一つの言葉で言い表すことができるのは、『悲しい』という言葉を使って表現する『悲しい』に近い何かでしかありません。
だから、「みんなの言う『悲しい』が分からない私は感情に乏しい人間なんだ」と思っていたそれ以前の自分は間違っていたことになります。
人の感情は、よく使うごく僅かな言葉で言い表せるほど単純なものではありません。
それに気づいてから、感情を表すときはなるべくそのような抽象的な言葉は使わないようにしています。

そして今の話をします。
言葉・感情について考えていた時についた癖でしょうか。
『悲しい』ってなんだ?『嬉しい』ってなんだ?の流れで、『正しい』ってなんだ?『悪』ってなんだ?『平和』ってなんだ?『神様』ってなんだ?
それらはそもそも全人類に共通する概念なのか?そもそも全人類に共通する概念なんて存在するのか?
こんな感じで、疑問が尽きません。


「雨はなんで降るの?空はなんで青いの?」というように、ググればすぐに納得する答えが見つかるような問いではないことたちが頭を埋め尽くしています。
1人で考えていても納得する答えは見つかりませんが、幸いにも先人たちが生涯をかけて学問として追求してきたことでもあります。
なので哲学の勉強を始めました。
これがめちゃくちゃ興味深くて、ページをめくる手が止まりません。
死ぬ時、「まあ私の人生、こんなもんやな。うんうん、よくやった」と言えるように生きていきたいのですが、哲学を勉強した先に、そんな理想の人生の入り口が待っているような気がしています

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?