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新しい神話の誕生をみた日

先代の皇尊が崩御し、殯雨が降りつつける大地。その地に秘密を隠し、自らの悲願を叶えるために立つ人物がいた。その背中は大きいようで小さく、発する言葉には悲願への強い思いが絡みつく。龍の声を聴くことのできない女性と、龍の声を聴くことのできる男性もまた異端とされる世界で。新しい神話の姿となったであろう主人公のその背中が、未だに焼き付いている。

龍ノ国幻想 三川みり


さて、いきなり私事となるが、以前記事にした精霊の守り人以外、なかなか大河ファンタジーに関しては苦手意識があり、手にする機会が少ない生活を送っている。そんな自分がなぜこの本を手に取ったのか。そのきっかけは、

男女逆転宮廷物語

​そのフレーズに惹かれたからである。しかもよく見てみると、ただの男女逆転物語ではない。龍という生き物が空に住まうこの世界で、女性は龍の声を聴く。しかし龍の声を聴かない女性を「遊子」と呼び、闇に葬られる理にある。主人公はなんとその「遊子」の一人であり、なんとその身で男性にのみゆるされる皇尊の座を狙おうとしているときた。読むしかない。そう直感が告げた。結果、その直感は大当たりであった。

殯雨が降りつつける大地で、重苦しい雨雲を裂きながら悠々と龍たちが天上に住まうこの世界。次代の皇尊が決まれば殯雨はやみ、大地に日が差す。物語では第一巻のそれこそ終わりの瞬間まで殯雨がやむことはない。殯雨が降り続けるこの世界で、次々と現れる登場人物たちはそれぞれの思惑と悲願を持ち生きている。各シーンでふる殯雨が、その都度登場人物たちの心情を繊細に表している様子が、切なく心に響く。そして日織が妻として娶る2人の妻が、日織という人物を語る上では欠かせない存在となってくる。姉を殺された不条理に抗うため、皇尊の座を望む日織であるが、彼女の根本にある他者への思いやりや優しさ、切ないほどの愛情は、この二人の妻があってこそより鮮明に感じ取ることが出来る。この作品に派手な戦闘シーンや命のやり取りは少ない。しかし、それぞれの登場人物たちに確固たる意思と信念があり、それぞれの思想をもってぶつかり合う様子は派手な戦闘シーンに引けを取らないハラハラドキドキする臨場感を与えてくれる。

ネタばれとなってしまうが、私が特にシリーズを通して印象に残っているシーンがある。第一巻の終盤、日織の妻が一人、月白という少女が身を投げるシーンだ。なぜ彼女が突拍子もないように見える行動に移ったのか。じつは中盤ほどで読者にそれとなく気付かせるような描写がある。まさか、まさかと思いながらもページをめくり続け、激しく殯雨が打ち付けるあの場所で、最後月白が日織に願いと思いを託して身を投げる。月白をいかせまいとする日織の言葉ひとつひとつの切なさに心をうたれ、それでもすれ違う二人の思いにまた切なさを感じるこのシーンで一気に、読者である自分と日織の距離が縮まったように感じた。助けたい、まだ全てを月白に話をできているわけではないけど、護るから、帰って来て。そんな日織の横で、大丈夫だから!日織の傍は大丈夫だから!帰っておいで!とまるで自分も殯雨に打たれながら叫んでいる錯覚に陥った。今でも強烈に印象に残っているシーンである。

転じて第二巻の話をしてしまうと第一巻のテーマともいえる「誰が皇尊の座につくのか」の問いに答えてしまうことになってしまうのだが、一巻の最後、やっと一息ついたと思わせて、全然一息付けないし、第二巻も引き続きずっとハラハラドキドキの連続であることはお伝えしたい。第一巻の期待を裏切らない、むしろ第二巻があってこその第一巻というか、とにかくもう一回読みたい!!と思わせてくれる最高の続巻だった。それこそ、第二巻の最後こそが、今回のタイトルにある通り、「新しい神話の誕生をみた」錯覚に陥る。全て読み終わってパタリと本を閉じた瞬間、「あぁ、いま神話を見てた。新しい神話がうまれたんだ」とそう感じた。壮大な世界で、日織が悲願を叶えるためにひたすら歩き続けて、そして、最後に神話が読者の目の前で生まれる。最高の冒険をした勇者の気分である。本当に。大げさではなく。少なくとも私はそう感じた。

世界も、人も、龍も。殯雨が降り続ける世界でそれでもなお鮮やかに生きる登場人物たちとともに生きてみて欲しい。

一つの国の神話を作るまでの冒険譚。ぜひとも手にとって、その身で体感してほしいと切に願っています。

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