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私の1年に意味はあっただろうか

昨日、ディレダワから引き上げをした。

正式に引き上げと日程が決まったのは今週の月曜日なので、荷物はまとめ始めていたとはいえバタバタした日程だった。


月曜日、配属先の大ボス(配属先のトップ。私の話によく出てくる「上司」は2番手)に引き上げ日程を告げたら、「午後にdiscussしよう」と言われた。

最初私は、このdiscussが私の引き上げについてのことかと思った。なんせ、私も驚いたことに、この日私が報告するまで大ボスは私の引き上げうんぬんの話を全く知らなかったらしいから。
情報共有という概念のなさっぷりが、最後まで遺憾なく発揮されている。

だから、discussって言っても引き上げについては私の判断ではどうにもならないのよ、と言った。

「大丈夫、分かってる。君の感想が知りたいんだ。」と大ボスは答えた。


その日の午後一番。大ボスは私に、Urban Job Creation Officeにいてどうだったか、何を感じたかを聞いてくれた。

指導者が政党ごとに動いていて問題対処への一体感を感じないこと。職員のモチベーションドライバーがないこと。ギリギリにならないと何も分からないことなどを挙げたけど、最後は「それでもオフィスの人、特に上層部は努力しているし私はそのことに感謝している」と伝えた。

大ボスはちゃんとメモを取り(これができる人はとても少ない)、「よく見てるね」と時折苦笑いしながら聞いてくれた。
話し終わったあとには、「ありがとう。これが聞きたくて呼んだんだ。だって、たださよならするんじゃ悲しいだろう。」と。

彼ひとりじゃどうにもならない構造的な問題がたくさんある。私にはどうしても理解できない考え方もある。
それでも自国のよりよい未来を信じて、色んなところからの圧力も受けつつ奮闘し、一介のボランティアの声にも耳を傾けてくれる彼に、私は敬意を払いたい。


フィードバックをしたことで、彼は私にも「この約1年の意味」をくれたように思う。

コミュニティ開発は、要請内容はあるものの「何をするか」が本当に自由な職種だ。ニーズは何か、どんな活動をするか、見いだすのに時間がかかることも多い。

配属されてみて、聞いてなかったことがこんなに発生するんかい、と思った。年間計画の意味とは。そして計画あるならなぜ全てがこんなにギリギリor突然なのか。
1年とにかく観察してリズム感掴んで翌年それをベースにより積極的な活動を組みたい、と思っていた。これから、だったのに。ひたすら観察していた今までに、現地の人は価値を見いだしてくれるのか。

でも。

観察といってもこの1年弱、「あれが出来ていない、これが足りない」だけを見るよりも「あれが出来ないのはここがこうなってるからなのねー、なるほどねーこりゃしんどいわ」のような関連性や仕組みを見る意識をもってきた。
私が大ボスに話した内容もこれに基づく。彼が有り難がってくれたのは、この視点なのかもしれない。

これを養えた分、意味はあっただろうか。
でも、それだとやっぱり私ばかりがもらっていて、現地の人にどれだけプラスになったかは別問題だよな、と思ったりもする。


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