7/28 素人なりの『史記』

素人として『史記』を、といっても「鴻門之会」を長らく読んでいたような気がするが、改めてこれを歴史を記したものとして読むと、例えば現代の歴史の教科書などといった、私たちの思い浮かべる歴史の記述とはまったく異質のものだと感じられる。紀伝体やら編年体やらといった用語はさておき、言動中心の文体と、人物のキャラクター化がやはり特徴なのだろう。

人物の言動を中心に細かく記述することで、歴史上のある時間が、単なる出来事(いつ、どこで何があり、どうなったか)ではなく、場面として読み手に想像される。Wikipediaにも講談が元になっているのではないかはどと書かれているが、まさしく語られ、聞かれるものとして優れているように感じられる。

人物のキャラクター化は、行動原理のわかりやすさに感じられる。例えば項羽は、気性が激しく、変わりやすく、甘い。劉邦は、人の顔色をうかがう。こうした「人間らしさ」は、いつどこで何があり、どうなった、といった歴史の書き方からは出てこないだろう。日本では、織田信長だとか、坂本龍馬だとか、新選組だとか、そういった人物の名を出せば、即座にそのキャラクターのイメージが思い浮かぶだろうが、これもまた、『史記』や、講談のようなものや、司馬遼太郎のようなものの影響なのだろう。

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