20240620 若さよ

駅のホームで電車を待ちつつ本を読んでいたところ、女子生徒が表紙を覗き込みタイトルを読み上げながら通り過ぎていき、いくらか気持ちが晴れた。男子校に通っていた頃の私だったら、惚れていたのではなかろうか。教育実習に来ている学生が涙を流していて、自分の授業に納得がいかないのだと話していた。納得という言葉が、妥協と同義になって久しい私には、この涙も衝撃だった。こうした、瑞々しい、若さよ……。


高校生の作文を解読したり、流行の端くれをつまみ食いしたりする仕事に従事していて、そこで、ここ数年の「多様性」という言葉のポップ化というか標語・作文化というかを身をもって感じている。その一つの到達点が"あの"が歌う「ちゅ、多様性。」なのだと思うのだが、「多様性」に限らず、一時にせよ、重い、鋭い意味合いをもったことのある言葉が、ポップに用いられること――これが、良いことなのか、そうでもないのか、いまいち判断がつかない。少数派の言葉が、大勢に広がり理解されること、当然、それ自体は良いことのような気がするのだが、「多様性」という言葉に大学で出会ったような気がする私には、現代のティーンズが口にするその言葉の突き抜けた軽さに、空虚さに、どこか爽快な心地よさも感じつつ、微かな不気味さを感じもするのである。単なるジェネレーションギャップであれば良いのだが……。

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