5/16 雨の日の椅子取りは/現代の詩人の主戦場を聴く

雨の日、我々が教室で勤しんでいた椅子取りゲームは、満員電車の予行練習なのであった。それは学歴奪取の、キャリア形成の象徴であり、人の世で生きるということの始まりなのであった。

満員電車に押し込まれて突っ立っていると、当然読書どころではなく、音楽でも聴くほかないのだが、思うに、現代の詩人の主戦場はポップスにあるのである。と思ってJ-POPを聞き取っていると、新しい言語使用とイメージを開拓せんとする意欲的な詩的詩も時にはあるのだが、概ね、出来合いのイメージ(枕詞や歌枕のようなものなのかもしれない)とシュールなナンセンス(なんせ突然英語が入り込む。何という自由! ルー大柴の芸なのである)に満ちており、むしろ面白い。


保護者宛の文書に「時候の挨拶」を打っていて、時候という存在がフィクショナルなものになってしまったなぁと思う。「時候の挨拶」のとおり進行する時候は、何処へ。、いや、そもそも、現実的で正しい時候というものが存在したのか、私にはわからないのだが……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?