20230504 『それを読むたび思い出す』を読み思い出す

三宅香帆の『それを読むたび思い出す』を読んでいた。難しいところのない本、悪く言えば内容の薄い本なのだが、しかしところどころ、グッとくるところもあって、易しい薄い本でありながらグッとくるというのは、なかなかすごいことだと思う。特に、「躊躇する途中」というエッセイの一節がグッときた。筆者は大学生(彼女は京都大学卒だ)のときに村上春樹『約束された場所で』を読んだ。地下鉄サリン事件被害者に取材した『アンダーグラウンド』の続編で、加害者側となったオウム真理教の元信者に取材した本であるが、そこで彼らの語る言葉が、「私の周りにいる同級生の言葉と、重なっていた」と感じる。

 自分の力を、もっと世界に対して善き方向に使いたいという信念。しかしそれはたとえ大企業へ就職したところで叶わないだろう、という諦観。「自分はもっと正しいことがわかっているはずだ」というプライドと「でも自分は誰からも認められていない」というコンプレックスの軋轢。
 潔癖で、神経質で、矛盾が嫌いで、論理的な話が好きで、もっと抽象的に物事を考えるべきだと思っていて、 そして、この先も頑張って生き続ける価値などない、本当は生まれてこないことがもっとも幸福だったのに、と思っている。

いるいる、わかる、という共感もさることながら、その続き。「でもきっといつの時代も若い大学生なんてこんなものじゃないだろうか。」の後、「少なくとも私が出会ったいくらかの男の子たちは」という記述が、良い(その続きは「というか、私は、大学生のころに、あきらかにこのような人間だった。いや、今もそうなのだろうと思う。そうじゃない自分を育てただけで。」と続く、一応)。上に「グッとくるところ」と書いたが、グッとくるのはこの鋭さである。観察眼、本や映画に対する批評眼の、スッと刺す鋭さ。そう、「男の子」なのだ。まったく、女の子と違って、こういう性質をなかなか隠せないのが「男の子」という奴だと、共感とともに、懐かしく思い出す。グッとくる……と書いたけれども、「ブックオフ」とか、「自転車を漕いで人生のすべてを完結させていたころ」とか、「音楽は、生活のかなり大きな部分を占めていた。しかしその大半の時間が、けっこう、苦痛だった」とか、コロナについて「お祭りのようだった」とか、結局、読んでいて私自身、あの頃を思い出すわけだ。それが、グッときているわけである。

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