5/25 現代文を教えるということ

休みの日は、落ち着いて仕事ができる。

現代文の授業の準備をしながら、精読の方法を教えるということの難しさを改めて感じる。言語化はできる。文と文の繋がりが、並列か、論を進めたものか、比較したものか。前提としての語彙や知識。どれが段落の要点で、この段落はこの結論を補強する事例であり……あるいは、二項対立であったり、共時的と通時的の十字の図式だったり、そういった論理の型を捉えたりと、そうした文章の解析を教材研究をしながら行うわけだが、それを伝えることはできたとして、問題はそれを、そうした読み方をどう体得するかであるわけだ。数や時間は解決しそうだが、たぶん、それでは、今ここで私が授業をする意味がないわけである。しかし、教授法を思いつくわけでもなく、今ここで私が授業をする意味って、何だろうなぁと思いながら、授業の準備を進めることができた休日であった。

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