20211023 プラトンを読んでいる

快く生きるということは、できるだけたくさん「流れ込む」という、まさにそのことのなかにあるのだ。
「ゴルギアス」藤澤令夫訳

ここ数日、プラトンを読んでいて、今は「ゴルギアス」を読んでいる。プラトンの著書は、いつ読んでも、今、ここで、問題となっている事柄について書かれているかのように――極めて実践的なものに感じられる。そしてまた、ソクラテスが対話の中で相手を真理へと導くという構成からだろうが、非常に教育的にも感じられ、優れた師に出会ったかのような高揚を感じる。そして、ソクラテスの、胆力とでも言うべきか、その態度のあまりのかっこよさ。「ゴルギアス」を読んでいると、カリクレスに徹底的に否定された後に、ソクラテスが彼を「特別上等」な「試金石」と呼ぶところなど、まったきヒーローである。しかし、さらにまた興奮するのが、そのライバル――対話の相手がまた、生き生きとしていて、そして鋭いのだ。例えば、冒頭の引用――節制を説くソクラテスに対し、快楽の充足を説くカリクレスの言葉。まさに快さの本質を説く一節ではないか。彼の議論が千年以上の時を経てニーチェの思想に流れていくことはよく知られたことであるが、このように論敵の言葉にさえ、知的な真理が含まれているような著書なのである。さらに言えば、そうした知的喜びもさることながら、そこには戯曲としての面白さもある。彼らの皮肉、嘲り、言いくるめられたじろぐ姿が、目に浮かぶような一連の台詞である。古典とはこういうものか。

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