20211110 蔵書印を考える

蔵書印を考え始めた。いや、本に印など、不要なものだとは思うのだが、仕方なく。

先日、生徒に、「先生は担任しているクラスの教室に本を置いていますか」と聞かれ、そのときは「置いていない。置きたくもない。大切な本は自分の本棚に置いておきたいし、大切でない本を教室に置く気持ちにはならない」などといったことを答えたのだが、百人一首でもやらせるかという状況になっていて、ならば仕方ない、関係する本でも置いてみようかと思い、単純に盗まれてしまうのが嫌だという心配も多少はあって、それよりはこれは私の選書だぞということをアピールしたい気持ちがあり、かといってただ名前を書くのも品がないし、どうせなら蔵書印を捺してみるか、と考えたのであった。

印鑑のいらない世の中になりつつあるおかげかどうかはわからないが、最近? は、印鑑も趣味性が高くなってきているように感じる。職場で生徒相手のサインがわりに使う印にも名前と猫が彫られていたりする。蔵書印も、そういう、和やかな印にしたいものだが、蔵書印というものの歴史もあるのだろうから、色々と調べてみたい。

そんなことを考えていると、亡父の蔵書に亡父の名前や買った日付や場所が記されていたことを思い出した。母はそれらについて、よく「昔はブックオフもなく、本を売るという発想がなかった」などと言っていた。確かに田舎だと、古書店など滅多になかったのだろう。そうした習慣がどれほど一般的なものだったのかはわからないが、私なども、特に鉛筆以外の何かで本に書き込みを入れることに結構な抵抗があって、所有を印付けるというのは、興味深い心性である。

追記:
ということで蔵書印について調べ始めたら、西洋には蔵書票というものがあるということを知った。これもなかなかおもしろそうである。

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