8/2 日記について

つまり日記の実用価値はきわめて乏しい。それでも人はせっせと日記をつける。何かモラルを高める力があるように錯覚することができるからかもしれない。
外山滋比古『知的生活習慣

まったく、このとおりで、日記というものは、書くことそれ自体については、様々に効用を考えてみることができる(例えば……何も為さない一日にも、何も為さなかったと日記に書けば、何かを為したような気持ちになり、気分良く眠れる)が、ことに自身の日記を読むことには、実用価値があまりない。書くときには読まれうるものを書こうとしているのだろうが、後々見返すと、書いたときの思いなどはそれほど思い出せず、奇妙に自分に似た書き手の自意識過剰な文章としか思えない(そういえばそんなことがあったな、と事実を懐かしむことはあれど……)。

日記を書くことについて考えると、将来の自分以外のいかなる読者も想定していないその言葉が、他者にも読解可能なものであることが、おもしろい。自分しか読まない自分の日記を書くときに、他者性が忍び込んでいる。

誤解を生まぬよう書いておくと、これはそのようなものとしての日記ではない。

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