20240711 マクドナルドの夜

文学とは闇の営みであると教えてくれたのは高橋敏夫教授だった(教授は埴谷雄高が聴講者(教授自身だったか? 忘れてしまった)に「先生」と呼ばれて「お前の先生などではない」と怒鳴った――文学に師など存在しないからだ――エピソードも教えてくれた。『こころ』ではないが、高橋敏夫教授を先生と呼ぶのは、そういうわけで憚られる……)。それ以来、別に文学に携わっているわけでもないが、自分が闇の営みの側に惹かれる人間なのだということが、明視されるようになった。

妻子が実家に帰っており(別に喧嘩などをしたわけではない)、つい近所に新しくできてしまったマクドナルドで夕飯を済ましてしまう。近所にマクドナルドがあるということの恐ろしさ……はさておき、大学院生だった頃、大学からの帰りだろうとアルバイトからの帰りだろうと、マクドナルドに寄って、何かしらのハンバーガーのセットを夕飯とし、本などを読みながら遅いコーヒータイム(夏はアイスコーヒー)を取っていたことを思い出した。そして案外、わざわざ人に読ませるようなものはないのだが、あのマクドナルドにも色々な思い出があるなぁと、懐かしさを覚えもする。あれは、多少は、有意義な時間だったはずだ——当然、正しい意味での有意義などではなく、貴重な時間だった。あのように、当たり前の、正しい時間からズレて生きられることの、意義。

マクドナルドの恐ろしさ……超加工、刺激的味付け、化学的食品添加物、栄養のアンバランス、そうして健康を害すること? それは、あるいは、マクドナルドの本質なのかもしれない。マクドナルド——資本主義に覆い尽くされた世界中のあらゆる土地で、深夜まで営業されるその店舗は、その本質的な、カジュアルでファストな闇の力によって、健康、家庭、自己犠牲、そうした歴史的な正しさへの反逆の拠点たり得る。最近なら、『天気の子』だ。

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