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音遊び

こんにちは。

最近、久々に鍵盤を引っ張り出してきて、私的一人セッションしてました。
 私的一人セッション:
  好きな曲を聴きながら、セッションするように曲に参加すること。
久々にやったら楽しすぎて、鍵盤を叩きまくってしまった。

思えば中学生くらいの時から、暇があれば一人セッションしていて。
同じ曲ばかり何度もリピートしてアレンジ変えてみたり(当時はMD)、
アルバムを1曲目から最後までなぞってみたり、
音楽がデータになってからは全曲シャッフルでどこまで弾けるかやってみたり。
あっという間に4〜5時間は経つ。

耳と手を同時に動かして、頭はあまり使わない。
とにかく身体で音を感じて、合わせて、乗って。
厳密に言えばセッションじゃないけど、自分がどう遊ぶかは自由だから。
セッションみたいにアドリブ入れて、ソロ入れて、コードで外して。

数曲弾き終わる頃にはすっかり汗だくで、脳内が覚醒したようなさっぱり感。
とても、いい。

そして家になぜかミニギターがやってきたので(ただ買っただけです)、
昔の手習いを思い出しつつぽろぽろ弾いてみたり。
メジャーコードぐらいしか弾けないけど、それでも楽しい。
昔よりはコードの理屈がわかっているようで、
もうちょっと練習してみたら多少は弾けるようにならないかしら。
なんてことを考えるのもまた良し。

そして音遊びの最中に、衝撃的なことに気がつく。
音感が下がってる。ぴったり半音。
一応は絶対音感(正式には「絶対弾ける音感」、また後日詳しく)があるものの、
使っていなければそりゃ鈍るってもので、ぴったり半音下がってた。
だいぶショック。
どこかで脳内半音下げチューニングされた並みの下がり具合。
やっぱり毎日鍛えないと、自分だけに都合のいい解釈になるのかもしれない。
音も。言葉も。

私はサントラオタクで、とにかく映画、ドラマ、アニメと
サントラを無尽蔵に聴き続ける人なのですが、
年末に歌番組をひたすら観て、やっぱり歌っていいな、と。
言葉の力と、音の力。その合体版には敵わない。
その昔作ったオリジナルソングなんて恥ずかしくて今は歌えないけど、
いつかまた歌を作っても良いのかもしれない。
再び音にすっかり溺れている今は、そんなことも考えてしまう。

音遊びは、きっと自分の解放なんだと思う。
遊ぶ、自由に。
それが一番難しいことだとわかっていつつも、自由になれれば、
自分の中の創作を解放できる気がする。
音を楽しむ、それが音楽。
わかっちゃいるけど、難しい。それも音楽。

うだうだ言ってないで、やれることからやりなさい!
という真面目な自分が顔を出してきたので、今日はこの辺りで。



写真は、NYのスタンウェイ。
前を通りがかって、あまりの神々しさに撮影。
ピアノ育ちとしては、キーボードじゃ物足りないのです。
あの、木の鍵盤の、鋼鉄の弦の質感がたまらないのです。

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