幸せの色がみえるなら
いつまでも感覚を信じたいし、上手く物事を伝えるために、らしくない言葉を選ぶくらいなら何も言わない方がいいとすら思う。だからなのか、意図的に誰かに向けられた、優しさとみせかけた戦略で固められたものに触れるのは苦痛だったりする(認めたくないだけかもしれないけれど)。
と、、ちょっと強気なことを書くのは、この頃こうしてありのまま思ったことを書き綴ることが、ちゃんと届いてほしい(届いたら嬉しいなと思う)ひとに見てもらえてることが嬉しかったからです。
よかった、と。
これでいいのかも、って思えたから。
あたたかいきもちを、伝えてくれてくれてありがとうございます。(noteの感想などをいただけて嬉しかったです。) 読んでくれたひとにとって有益な情報というのはあまり書けないけど、飾らずありのままを書いていけたらとおもいます。
幸せの色は、毎日みている。いまも、少し先の未来でも。それは淡かったり力強かったりもする。昔は全く見えなかったので、見えてなくて、探していた。色がみえたなら、今はそれをただただ残していきたい。それは言葉かもしれないし、色かもしれない。はたまた音なのか。その色自体を光で閉じ込めるのもありかもしれない。
…逆に不幸せの色はなんだろう笑。そのほうが分かりやすいかもしれない
アオイ
皆さまのおかげでがんばれています。いつもありがとうございます!