わたしはライターに向いてないのかもしれない
近頃、脳のリソースが足りなくなってきました…。
いまのところ、処理し切れるかどうかのギリギリの業務量で、毎日いっぱいいっぱいの状態です。
主な業務はこちら(負荷が大きい順)
時間にすると、あさ5時〜7時、9時〜12時、13時〜17時の9時間です。
仕事自体は楽しいので、精神的には苦痛ではないのですが、やはりどこかでプレッシャーを感じており、「終わらせなきゃ!」という焦りで心身の不調が出始めています。
運動も週3→週1に減っており、睡眠の質も落ちてます😭(ここがいちばんの悩み)
昨日読んだ本に、「体験そのものの楽しさを重視する」ことの重要性がかかれていました。
今の私は大きな変化の真っ只中にいて、「成長」という意味では体験そのものの楽しさを感じているものの、編集や構成の作成(つまりライターとしての仕事)には、しんどさを覚えます。
一方で、こんなバタバタな状況でも、編集者の育成と新規メンバーの採用は楽しんでいる自分がいます。
だから、認めたくないけど、本当は、私はライターに向いてないのかもしれない。
そんか思いが、ここ最近じわじわと浮かび上がってきました。
取材記事を書くときも、文字にする作業より、取材の方がずっと楽しいのです。
あー。
目を背けてきたことに気がついてしまった気がする。
わたしは、「ライターとしての私」が好きなだけなのかも。
仕事何してるの?と聞かれるとき、妙にうかれて「ライター!」とこたえる自分にも気が付きてしまいました。
でも、ちょっとここで立ち止まって、もう少し深掘りしてみることにします。
書くという作業は、分解すると「言葉を紡ぐ作業」と「文字化する作業」にわけられます。
わたしは、おそらく、言葉を紡ぐ作業は好きなのです。
そして、音声入力で文字化することもそれほど苦になりません。
一方で、タイピングで文字化したり、文字化した作業を推敲する作業は多くのリソースを割いてしまいます。
タイピングによる身体的な負荷(肩こり、目の疲れ)が想像以上に大きいのかも・・・
推敲については、他人の文章の推敲(編集業務)は割とたのしくできるけど、自分の文章の推敲は苦手です。
自分の文章の推敲は時間がかかりすぎて、一種のコスパの悪さのようなものを感じている気がします。
時間が無限にあったら、楽しめるのかも・・・。
ライティングの「産みの苦しみ」を楽しめる人だけが、ライターの仕事をつづけられるんだろうか・・・と、ぼんやり考えている毎日です。
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