シールの話

 シールを集めてしまう癖がある。子どもの頃からずっとだ。好きなものを見つけると吟味に吟味を重ねた上で買ってしまう。ビックリマンシールが流行っていた時に女の子向けに出ていたおまじないシールや、雑誌の付録のシール、文房具屋で購入したシールなど種類は多種多様。シール用の箱がいっぱいになるくらいシールを持っていた。そこまでお気に入りではないシールは友達との交換によってお気に入りへと変わったりもした。そのくせ消費するのがもったいなくて、結果どんどん溜まっていく。これが私とシールの長年の関係である。

 好きなシールほどどうしても使えない。大切にとっておき、ここぞという晴れ舞台を用意した時に使おうと決めてしまう。そして晴れ舞台がやってきた幸運なシールはほぼいない。大切に保管され続けたシールはやがてお気に入りから古参となり、嗜好が変わってしまった私の一番から突然滑落、割と適当な舞台にいきなり立たされてシールとしての使命を全うさせられる。ひどい舞台監督だなと書きながら思うが、このループから抜け出すためには舞台ありきで役者を集めるように改革しなければならない。と、思うものの、大人になっても相変わらず同じことを繰り返している。数年前までは手帳をわかりやすくしようという理由をつけてシールを買っていたが、使うシールは「給料日」くらい。「デート」や「習い事」は仕事用の手帳に使用しないので置き去りだ。複数手帳を管理するのは煩わしいという理由でプライベート用の手帳は持たないため、結果それらのシールは放置され劣化する運命を辿る。シールを購入する時に、使わないシールが発生するのをわかっていて買ってしまうのだ。もはや一種の病である。

 なぜこの負のループを繰り返し続けているのかを突き詰めて考えてみた。一つ、シールは単価が手ごろなため罪悪感も低く、購入のハードルが低い。一つ、劣化までに数年を要するためすぐに使用しなくてもよい。上記二点から、お金を無駄にしているという実感が薄れる。また、シールはシート状なのでそこまで保管に場所を取らない。これらの要因があるため、私は根本的な改善に至らないまま誘惑に負けてシールを買い続けてしまっているのだと考察した。

 そのため、最近はシールを売っている場所に近寄らないようにしている。見ればほしいものを探して買ってしまうのならば、見なければほしいものも見つけないだろうという作戦だ。意外にこの作戦は奏功しており、このまま逃げ切れるのではないかと感じている。好きなのに分かり合えない、不毛な恋愛関係に似ている私とシールの関係。シールには非がないことは明白なので、私が変わるしかない。今は過去を清算するように、溜め込んだシールを定期的に使用する日々を送っている。いつかシールを使い切った暁には、お気に入りのシールをお迎えしてもよいと考えている。

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